素質と環境2

先日の続きです。
勉強が出来るようになる為に素質と環境(努力)どちらが大切なのかということについてしばらく考えてみたのですが、もう一つ疑問に行き当たりました。

ある人に対して「この人は○○についての素質がある。」というとき「素質」というのは何をさして「素質」と言っているのでしょう?
何となく分かるような気もしますが、具体的に説明しようとしたら上手くできません。

例えば、国語で漢字のテストをする。
非常に良くできたら、「国語の素質がある」という言い方をします。
漢字が出来るのと国語が出来るのは違うような…。
私自身は、塾に来る生徒について「素質」と言う言葉を使うことはあまりありません。
正直言ってどういう子について使っていいのかよく分からないのです。

これは、私自身が「素質」というものをあまり重視していないからと言えるかもしれません。新しく塾に来ようとする保護者の方や子供たちに、私は「一生懸命努力すれば必ず先生達が何とかする」といいます。プロスポーツ選手や学者になるというなら別ですが、勉強は全ての子供たちがするものです。少なくても学校で習う勉強は一般的な子供が十分出来るように考えて作ってあるのですから、頑張って出来るようにならないはずがないのです。

また、プロスポーツ選手や学者になるのだって「素質」がないと駄目だとは思いません。色々なスポーツを観ていて、「努力」でここまでこれたと言う人は多くいると思います。サッカーの横浜Fマリノスの中澤選手のように、プロに入るまで全く無名だった選手もいますし、プロ野球の古田選手兼監督も高校時代は無名でした。バスケットボールやバレーボールのように背が高くないと非常に不利なスポーツもありますが、これだってNBAに挑戦している田臥選手のようにそれを乗り越えて、活躍しようとする選手もいます。

学者については「素質」というより情熱が大切なのではないかと感じます。ノーベル賞をとった白川教授は、学生のころから「電気を通すプラスチックを作る。」と考えていて、数十年後にこれでノーベル賞を獲得しています。
数学界で長年謎とされた「フェルマーの定理」を解明したワイルズ教授は、この定理を解明するために八年間朝から晩まで考え続けたそうです。研究をしていることを他者にひた隠しにし、研究成果がでないことを問題視されながら解明したのです。情熱以外の何者でもないと思います。

ここまで書いてきて素質というものも私は先天的なものではないと感じました。
スポーツを例に取ると、例えば子供の頃から走るのが好きで足がとても速い子がいる。
そんな子供がサッカーをしようとすると足が速いのでサッカーに向いている。
そういう子供に対して指導者が「この子はサッカーの素質がある。」という言い方をする。こういうことではないかと思います。
ということは、この「素質」というものも努力次第で何とかなるのではないでしょうか。努力して「素質」を身に付ける。そういうことも出来るのではないでしょうか。
そうであって欲しいです。

「素質」が先天的なもので「素質」の無い人は何をやっても駄目というのでは、つまらないですよね。
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by soul_doctor2005 | 2006-03-03 12:01 | 塾の仕事を通じて
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