覚えることの大切さ


最近「ゆとり教育」の影響なのか「覚える」と言うことが
軽視されているように思います。
「考える力」を育むとか
「自分で気づくこと」を重視するといったことが
塾を含め大抵の教育産業の広告でうたわれています。
本当にそれで良いんだろうか?
指導をしていて時々そう思うときがあります。

勿論「考える力」も「自分で気づくこと」も非常に大切です。
それがいけないと言っているのではないのです。
ただ、「考える」にはその為の材料(根拠)が必要だし、
「自分で気づく」にはその比較の対象が必要ではないでしょうか?
それを無視して、「考える力」を養うのは難しいし、
「自分で気づくこと」は困難なのではないでしょうか?

偉そうな表現になるのですが、人間は自分の知っている範囲でしか
モノを考えることができないはずです。
とすれば、考えられる範囲を増やすには、知識を増やすことが必要なのです。
でも、知識や記憶といったものは今の日本の教育では
軽視されているように思うのです。

「覚える」とか「暗記」とかいうと
すぐに「詰め込み教育」といった悪いイメージにつながってしまう。
でも、それは正しくないと思うのです。
確かに「詰め込み型」と呼ばれるような、知識を覚えることが全てというような
教育というのはおかしいと思います。
ただ、考えたり気づいたりする為には、その為の知識が必要で、
それを身に付ける為の訓練は必要だと思います。
自分が知っている知識を元にして、様々な事を考えたり、
新しいアイディアを思いついたりするのです。

有名な発明家や学者は大抵奇想天外な発想の部分ばかりが強調されますが、その発想に至る前段階では、その分野の広範な知識の集積を行っているものです。
新しい発明のほとんどは、今までに分かっている知識を組み合わせることで生まれています。ですから、縄文人にスペースシャトルは発明できません。そこまでに至る知識も技術もないからです。縄文人の知識の範囲で何を組み合わせても、スペースシャトルには結びつかないのです。それと同様に、今の時代に生きていたとしても、十分な知識の無い人間にはそこまでの発想しか生まれないと言えると思います。

「知識」を軽視する傾向は、かつて私たちやそれより前の世代で、厳しい受験競争が行われてきたことに由来しているように思います。
ただ闇雲に覚えて、それを答案に書けるのが優等生。そうでないのが劣等生。
そこまで極端ではないかもしれませんがそういう傾向があったのではないでしょうか?
今の「暗記」や「記憶力」の軽視の傾向はその反動のように感じます。

私が高校一年の時、私の友人にH君という人がいました。
彼は、英語の定期テストがいつも90点以上ありました。
ですから通知表の成績はいつも9か10(10段階評価)でした。
でも、彼は模擬テストではほとんど得点できなかったのです。
いつも定期テストで平均そこそこの私よりもずっと悪かった。
なぜかというと、彼は定期テスト前にいつも教科書の本文の丸暗記をしていたからです。
彼には申し訳ないが、これは無駄だったと思います。

「知識」というのはそれを自分自身が使っていけるものでないといけないと思うのです。そして実際に使ってみる。そうして分かることを「経験」と呼ぶのではないでしょうか。使える知識が多いほど、発想の幅が広がる。経験も増える。
そう考えたら「覚える」ということは、やはり大切だと思うのです。
特に年が小さい子供ほど「覚えること」は大切だと思うのです。
幼い子供ほど使える知識が少ないのですから…。

話が逸れますが、
この仕事をしていると時々まだ十分に物事を判断できない小さい子供に
非常に重要な判断をまかせておいて
「子供の自主性を尊重している。」といわれる方を見かけます。
勿論親によって考え方が違うのは当然なのですが、
私はあまりそうはしたくありません。
十分な知識を身に付けるまでは親がきちんと考えて決めてやるべきです。
それは親の責任だと思います。
子供たちにはまだまだ世の中について
「覚える」べきことがたくさんあるのですから…。
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by soul_doctor2005 | 2006-03-17 01:11 | 塾の仕事を通じて
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