求めることと求められること

以前「素質」についての記事を書いたことがあります。
素質というのは先天的なものではなく後から鍛えることもできる。
その時私はそう書きましたし、今もそう思っています。

そのことを思い出しながら、ふと思ったのです。
野球の素質があれば野球を、サッカーの素質がある人は
やっぱりサッカーをするべきなんだろうか?
そう感じたのです。

私の中ではこのことについて結論は出ています。
人間は自分のやりたいことをやるべきです。
ずっとそう思ってきたし、今でもそう思います。

でも、もし今自分のやっていること以上にやりたいことが出来たら
それをやるべきでしょうか?

私自身がそういう状態であるというのではなく、
今塾に来ている子供たちをみていて思うのです。
周りの人間が「こうなって欲しい」と願い、
それに応えることができる力を持っている。
そういう子供はやはり「求められること」を
やっていた方が幸せなんでしょうか?

たまに自分が子供たちに対して
話したことやしてきたことを考えて怖くなることがあります。
別にひどいことを言ったりしたりしてきたわけじゃ無いのですが、
私の言動や行動で
過度の期待に苦しんだり、精神的に圧迫されている子がいるのではないか。
そう思うと申し訳ない気持ちになります。

ここまで書いてきながら、
以前指導していた生徒のことを思い出しました。

まだ私が新人だった頃、ある中一の男子がいました。
彼はサッカー少年で、見た目にもさわやかで
勉強も良くできました。
ちょっと大人しいけど明るい子で、
友達もたくさんいました。
それが、突然不登校になってしまったのです。

何の前触れも無く突然塾に来なくなって、それっきりでした。
しばらくしてお父さんが相談に訪ねてこられました。
学校にも全く行かず、ずっと家にこもって出てこないのだそうです。

お父さんの話によると、
彼はずっと「優等生」になろうとしていたようです。
親や周りの期待に応えたい。
そんな気持ちだったのでしょう。
不登校になるまで、
親に対して反抗するようなこともほとんど無かったそうです。
それが突然精神的にキレてしまった。
「こんなになったのは親のせいだ。」と彼は言ったそうです。

それから二年あまりして
彼の弟が塾に来るようになりました。
その時彼はまだ家から出ない生活を続けていたそうです。
彼の弟が塾に来るようになったのも
家にいると兄の相手をしないといけなくて
精神的につらいので息抜きをさせてやりたいという理由だったのです。

今彼はもうとっくに成人している年齢です。
彼の話はそれっきり聞いていませんが、今どうしているのでしょうか?
ふと思い出して気になりました。

私も子供がいますから、五輪をみながら、
「自分の娘が将来荒川選手のようになったら…。」などと
あり得ないことを考えたり、期待したりしてしまいます。
親が子供に立派になって欲しいと思うのは当然なのですが、
「子供の人生は子供のものだ。」ということを
私自身つい忘れてしまいがちになります。

塾に来ている生徒に対しても
「これだけ出来る力があるのだから、もっと頑張ろう!」
などと無責任にもメッセージを書いてしまいます。
子供の力を伸ばしていくのが私たちの仕事なのですが
「子供たちは本当にそれを望んでいるのだろうか?」
とふと考えます。

「やればできる」子供が頑張らないのは
やはり子供たち自身が、
勉強を自ら追い求めていないからなのでしょうね。
周りから「こうしよう」と言われてするよりも
みずから「こうしたい」と思って取り組んでいく子供の方が
力がつくのは自明の理のように思います。

今の子供たちからは
自ら何かを「追い求める」という意識があまり感じられません。
私たちの世代もかつてはそうだったのかもしれないのですが
今の子供はそれ以上のような気がします。

それは、自ら「ああしたい」「こうしたい」と主張しなくても
ある程度、道筋がきまっている。
だから自分自身であれこれ考える必要がない。
そう思っているからではないでしょうか?

以前高校受験の指導をしていたとき
将来なりたい仕事を聞いたら
「特にない」という生徒がとてもたくさんいました。

子供たちが目的を持ちにくい世の中なのでしょうか?
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by soul_doctor2005 | 2006-03-24 00:02 | 塾の仕事を通じて
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