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「時間」と「とき」

私は普段日曜日は仕事なのですが、
今日はお休みです。
私たちの塾では月に一度程度日曜日のお休みがあります。
今日と明日、二日間の連休です。
「何をしようか」とあれこれ考えていたのですが
家の洗濯機が壊れてしまい、修理に来てもらうことになり
全て台なしです。
特に何も予定も無いまま今日一日を過ごしています。

ですが、何も予定が無いと言っても
必ず何かしているのです。
性格なのか習慣なのか何もしないでいるのが
落ち着かないのです。

どこかに出かける予定が無くなれば
こうしてブログの記事を書いたり、
撮りためている映画を観たり、
買ったまま読んでいない小説を読んだり、
気がついたら何かしているのです。

以前はともかく、
今はそんなに忙しい生活をしているわけではないのですが
それでも、やはり時間を気にしているようです。
「時間が勿体ない」という気持ちがどこかにあるのですね。

昔、「時間」は量のあるもの、使うもの
  「とき」は区切れないもの、流れるもの
という文章を読んだことがあります。
ふとこの文章を思い出すと
「時間」はいつも感じていますが
「とき」というのはここしばらく感じたことがありません。
忙しくない生活ながらも、せわしなく過ごしているのですね。

「漫画の神様」手塚治虫さんの祖父は、
ある藩に仕える藩士だったそうです。
そのお爺さんは毎朝城に出仕し
ずっと「控えの間」というところで
夕方まで何もせずに過ごしていただそうです。
成人し藩士となって、年老いて引退するまで
ずっとそういう生活だったと手塚さんが文章に記されています。
手塚さんはその話を祖父から聞かされ
「なんてつまらない一生だ。」と若い頃は思い、
手塚さん自身が年老いてからは
「そうではないことがわかった。」
と書かれています。

確かに何から何まで
量や価値に置き換えてしまう今の世の中よりは、
豊かな「とき」を感じて過ごせるだけ
幸せかもしれません。

そう思いつつも私自身は
こういう生き方はもうできないだろう。
と感じます。
こんな文章を書きながらも
やはり時間を気にしています。

そういう性分なのか、そういう世の中なのか
こればかりはどうしようもないような気もします。
by soul_doctor2005 | 2006-03-26 16:04 | 日常の出来事
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