奈良の放火殺人事件について

奈良の放火殺人事件について

中学受験の指導をする私にとっては人ごととは思えない事件です。
受験が近くなるとやはりつい子どもたちに厳しい言葉を発してしまいます。
保護者の方ももちろんですが、私たちも子どもたちを指導する際に
「もっとを力をつけて欲しい。」そんな思いでつい指導に力が入ってしまう。
預かっている子どもたちを大切に思うからこそ、
そう感じるし、そう指導するのですが、
それが子どもたちに何らかの重圧を与えていることは否定できません。
子供によっては、私が意図してそうしている場合もあります。

子供の気持ちを考えて指導しているつもりですが、
今回の事件を見て、
子供の気持ちを考えて指導しているといっても、
あくまで「大人の基準」でモノを見ている場合があるのではないか。
と感じます。

子供が重圧に耐えきれないとき、
大人はその重圧から解放してやる(一時的であっても)必要がありますが、
私たち塾の講師はそれが出来にくい立場にあります。
重圧の内容が「勉強」である場合「勉強するな」とは言えないのです。
私たちは「勉強させる」のが仕事ですから当然といえば当然ですが…。

塾の先生方によって意識は違うのかもしれないですが、
私は生徒に雇われているのではなく、生徒の保護者に雇われていると思っています。
ですから保護者の意向を無視するわけにはいけないと思っています。

一人の子供を学校の先生と親(さらに塾の講師)とで見ていくわけですから、
いろいろな大人にいろいろなことを言われる子供は辛いのかもしれません。
確かに今の子供は大変だなと感じます。
ただ、私や私の親の世代に比べて極端に厳しい環境に置かれているとは思えないのです。

私はいわゆる「団塊ジュニア」と呼ばれる世代で、
受験でも就職でも同年齢の人間の人口が多かったので
(私の世代がピークで後は減り続けています。)
それなりに厳しい競争にもまれてきたと思います。
、今の子どもたちは、当時の私の年代の半分くらいの人口しかいません。
単純に考えると、受験でも就職でも競争率が半分のはずなのです。

塾の仕事を始めてから知ったのですが、
今の高校生は、私たちが入るのに四苦八苦していた大学を
当時の私たちよりずっと低い成績で合格できるのです。
正直うらやましいと感じます。
だから今の子供全てが学習面で特に厳しい競争にさらされているとは思えないのです。

私たちの世代や私の親の世代は厳しい受験競争の時代でしたが
だからといって、今回のような事件が頻発していたことはなかったと思います。

ですから今回のような事件が続くのには社会的な面の影響が多いと思うのです。
「ゆとり教育」だけでなく、今の日本は「勉強しすぎ」「働き過ぎ」からの反動で
生活にゆとりをもとうとするような傾向が見られます。
その一方で、社会人になれば競争社会にもまれるという現状もあり、
キャリア志向が強く、寝る間も惜しんで働いたり、技能を身につけようとしている人もいます。
最近よく「勝ち組」「負け組」などという言葉が使われますが、
こんな風に社会の風潮が二極化してきていることにも、今回の事件の背景があるように思います。

「他人の芝生は青く見える」といいますが、
みんなが同じような状態にあった私たちの世代は「他人の芝生も同じに見えた」ので
そこまで不満はたまらなかった。
でも、今の子供は今の自分と違う生き方をしている人を知っている。そうすると、自分だけが特別に厳しい環境に置かれているように感じるのではないでしょうか?

ただ、世の中に「勝ち組」と「負け組」があるなら、「勝ち組」に入れたいというのか親の正直な心情だと思います。そういう思いから子供を非常に厳しい環境に追い込む親もいるようにも感じます。報道を見た限りでは、事件を起こした少年の両親はそういう傾向があったようにも感じられます。もしそうなら、少年も気の毒だったと感じます。

正常な判断が出来ないまでに追いつめられていたのでしょうか?
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by soul_doctor2005 | 2006-06-24 23:35 | ニュースについて
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