ネパールのビール(続)

昨日のネパールのビールの話についてです。

昨日の記事を読み返してみると
本文のあらすじを追いかけただけなので
説明不足もあるように感じます。
そんなところも踏まえながら私が感じたことを書ければと思います。

ますこの話を読んで感じたのは世の中の不条理さです。
チェトリ君というこの少年は
地元に学校か無いのでこの村に来て学校に行っています。
下宿といっても土間にベッドがあるだけの部屋で
電気も無く、机の無いので
ベッドの上で小さなランプをつけて勉強をします。
そんな純朴で真面目な少年です。

一方で私たちは
この彼が一生を狂わすかもしれないほどの大金を
普通に働いているだけで手に入れることが出来ます。
勿論物価が違うから当然ではあるのですが、
筆者がビールが飲みたいと渡した
小銭よりちょっとマシという程度の金額がネパールでは大金、
恐らく村人も「自分だったら逃げたに違いない。」
そう思えるだけの金額だったからこそ、
「彼は逃げた」といったのでしょう。

ネパールにはまだこの村のように電気もガスも水道も無い町が多くあるようです。
そして、不幸なことに自分たちの生活水準が世界から見ると
とても低いと言うことを知っている。
彼らにとってネパール人としてごく普通の生活自体が「不幸だ」と感じざるを得ない現状。そんな中に彼のような真面目な少年がいることに不条理を感じるのです。
私も他の日本の人間も、子供のことから大して苦労せずに今の生活を手に入れた。
でも恐らく彼にはどんなに真面目に学んでもほとんどそれを生かす場が無いはず。
そういう国がまだ世界には多いのだということを感じざるを得ません。

もうひとつは
チェトリ君の純粋さです。私を含めて日本の人間でここまで出来る人がいるでしょうか?彼はきっと見知らぬ外国から来た筆者に喜んで欲しかっただけなのでしょう。
彼なりに自分に出来ることを考えて、「ビールを買ってくる」ことをしようと考えたと思います。
片道90分(勿論これも大変な道のりですが、)ならともかく、峠を三つも越えて往復で三日もかけて、筆者との約束を守ろうとして彼の一生懸命さに感動しました。
そして、先生にまで「彼は逃げたのだ」といわれている間も、
彼は筆者にためにビールを運んでいた。そのひたむきさを思うと感心するし、気持ちのまっすぐさに羨ましさを感じます。
大人になってから彼のように一つのことに必死になったことがないと気づかされたのです。

彼はビールを割ってしまってトボトボと歩きながら何を思っていたのでしょう。


この話は昭和60年の出来事。
ですから 今、彼は私より数才年上で、37歳か38歳位になっているはずです。

ここ数年ネパールでは、政情不安で、政府と社会主義者との内戦が続き、
非常に治安が悪くなっていると聞きます。

彼は今もネパールで平和に暮らしているのでしょうか?

知りたいような知りたくないような気持ちです。
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by soul_doctor2005 | 2006-07-16 21:51 | 塾の仕事を通じて
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