選択

先日、ふと機会があってずっと前に購入していた
映画「マトリックス・レボリューションズ」のDVDを久々に観ました。
そのクライマックスシーンで、
戦いに傷つき、満身創痍になった主人公ネオに、
彼を追いつめたエージェント・スミスが語りかけるシーンがあります。
「もう結果が分かっているのになぜそこまでして闘う。なぜだ?」
ネオの答えはこうでした。
「選択したからだ。」
そして、戦いの結末に向かう。そんなシーンでした。

もともと、難解で教示的な表現やセリフの多いこの作品ですが
こうして改めてみてみると、
このセリフはとても示唆に富んだセリフであるように感じました。

自分自身を振り返ってみて、
今まで他人に比べて自慢できるようなことは何一つ無いし、
人に誇れるようなことは特別ない人生を送ってきたように思います。
(あまり堂々と言うようなことでもないのですが…。)
でも、それでもそれなりに前向きで、
それなりに自分なりにやってこれたのは
自分のことを自分で「選択」してきたからだと言えると思うのです。

これはもしかしたら、自分の中で誇れる数少ないものの一つかもしれません。
日常生活の中の細かい事は別として、
自分の一生を左右するようなことの決断を人任せにしたことは無いと思います。
(自覚している限りには無いと思うのです。)
勿論、自分の両親や友人など周りの人間は色々な意見をくれますから
参考にはしましたが、決めるのは自分自身であったと思います。
割と子供の頃から「自分のことは自分で決める」という意識は強かったと思います。
その分、「我の強い」子供であったことも事実です。

私がこういう性格であったからかどうか分かりませんが、
高校や大学、就職、結婚など、私の進路に関わることについて
私の両親は「ああしろ、こうしろ」などと意見したり、
私が決めたことに真っ向から反対するということはほとんど無かったと思います。
大抵は私が決めたことを追認するという形でした。

そのかわり、
私が何か失敗しても助けてくれることも
ほとんど無かったように思います。
私の両親は共働きだったので、
子供の進路までいちいち考える余裕がなかったのかもしれませんが、
こうやって良い意味で「放任」されていたことは、
「自分で決めたことに自分で責任を取る。」
という意識を自然に持つことができてよかったと今では感じます。
(私の両親がそこまで計算して「放任」していたとは到底思えませんが…。)


だからかもしれませんが、
この映画を観た時のネオの
「選択したからだ。」というセリフに
妙に実感がこもっているような気がしたのです。
「自分で”闘う”と決めたのだから”闘う”」というのが
とてもまともで当たり前のように感じたのです。

今塾に来ている子供たちを見ていると
「自分のことを自分で決める」という意識がとても少ないように感じるのです。
まあ、まだ小学生だから無理も無いのでしょう。

ただ、何気ない会話の中でも、
自分が無用の責任を負わせられないように
ごく自然に”言質”を取られないような会話をしているのを感じます。
まるで政治家のコメントのように、
後で何とでも言いわけできるようにしているのです。
中にはそれが巧みで流れるような子もいて、
自分も気をつけていないと言葉尻を捕まえられて、
何かと責任を取らされそうになります。

自分のことを自分で「選択」して、自分で責任を取る。
というのは、今どき流行らないのかもしれませんね。


でも、やはり自分のことを自分で決めてきたからこそ
上手くいった時の喜びがあるし、
上手く行かなかった時の悔しさや後悔をバネにして
成長することが出来るのだと思うのです。
そうやって、生きていく方が
多分そうでない人より幸せなのではないかと思うのです。

「選択する」ということと、「責任を負う」ということはセットだと思います。
責任には「重さ」がある。
でも、その一方で、
それだけの「価値」があるのだということを
自分自身も忘れないようにしていかないといけないと思っています。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-09-21 02:18 | 日常の出来事
<< 基本性能 特効薬 >>