「知ること」と「感じること」

今日たまたま以前書いた。「特効薬」という記事を読み返していたのですが、読みながらふと昔のことを思い出しました。

もう数年以上前、中3で公民の授業のときです。
その日は日本国憲法の単元で、その中で「自衛隊」についての説明していました。
「自衛隊が海外に派遣されることには賛否両論ある。」そんな話をしていて、
その中で、ある生徒が「自衛隊の人は、自衛隊なんだから死んでもしょうがないじゃないか!」ということをいったのです。その子の頭の中では「軍隊で人が死ぬのは当たり前。」という意識があったのかもしれません。事実として軍隊というのは戦争をするあるいは、戦争に備えるものですから、死とは隣り合わせであるとおもいます。でも、「死ぬのは当たり前」ではないのです。いうまでもないことですが…。

今このときのことを思い出して、いかに自分が子どもたちに知識だけを教えているのかということを感じます。知識を教えると子どもたちは、「わかっている」と思ってしまう。
でも実感として「感じている」というのとは違うのです。それは私自身も大人になってわかったことです。

ある作家(幸田文さんだったと思います。)が、学校から依頼されて子どもたちに戦争体験を語ることになったそうです。それで、家に子どもたちが訪ねてきて、あれこれ質問される。
「戦争は大変でしたか?」と聞かれ。「大変だった」と応えるとノートに「大変だった」と書き留めて、すぐに次の質問へ、それもノートに書き留めてまた次の質問へ、そういう感じで、いくつか聞くと「用は済んだ」とばかりに帰っていくのだそうです。
言葉にできないような心の訴えこそが子どもたちの本当に理解すべきところなのですが、それは伝わらない。今の学校教育には、「器は作るが、中身をいれない」ようなところがあるように感じます。

踏切に入って命を絶とうとした女性を身を挺して助けた警察官の方が、今日亡くなりました。
たとえ警察官であろうと、それが職務であろうと「命がけ」というのは普通簡単にできるものではありません。それでも、心ない人は「警官なのだから、当たり前。」と言うのでしょう。
子どもたちには、こういう出来事から「本当に大切なものは、形あるものとは限らない」ということを是非学んでほしいと思います。そうして、「○○だから当たり前。」という大人にはなってほしくないと願います。

私自身もそうあるべきですし、せめて自分のまわりの子どもたちにだけでも、そう伝えていきたいと思います。
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by soul_doctor2005 | 2007-02-13 00:32 | 塾の仕事を通じて
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