福島元長って?

広島という名前の由来は、今から約400年前に毛利輝元が広島城に鍬(くわ)入れをしたさいに命名したといわれています。

また、デルタ状に島々が広がっている地形から来ている説、毛利氏の祖先である大江広元の「広」と、戦国時代の武将福島元長の「島」を合わせたという説など、色々な由来に関する話はつきません。
以上[広島地域情報サイトより引用]

昨日購入した集英社の「イミダス2006」にもこのような記述があったのです。
広島の地名の由来は、毛利輝元が広島城を築城したことに由来し、「広島」とは広島城が太田川の最も広い中洲に造られたことからきている。私は以前こう聞いたか見たかしましたし、ずっとそう思っていました。
今回、大江広元の「広」と福島元長の「島」からきているという説(仮に人名引用説と呼びます)を知って、「そうか、なるほどなあ」と思うと同時に幾つかの疑問が湧いてきたのです。



まず、毛利家の祖である大江広元はわかるとしても、「福島元長」とは誰なのかということ。豊臣秀吉の配下で「福島正則」という大名がいて、最初はこの人物に関わりある人物かと思いました。福島正則は関ヶ原の戦いのあとで毛利家から没収された広島城主となっています。ただ、それでは、福島正則が広島に来たのは広島城より遅いので、彼は関係ないということになります。結局自分の知識ではどうにもならないので、ネットで検索してみました。「福島元長」を検索したところ、106件のヒットがありました。大半は冒頭の広島地域情報サイトと同様の内容。この「人名引用説」がかなり広く知られていることがわかります。福島元長については、川村真就さんという方の「防長戦国譚」というページに以下のような記述がありました。
「元安芸武田家臣。安芸武田家滅亡後、毛利水軍の一角として活躍を見せた。「広島」の地名は大江広元の「広」と、福島元長の「島」の字を組み合わせて出来上がった地名である。」やはり、福島正則とは関係ないようです。

ここまで調べて次に感じたのは、「やはりこの説はおかしい」ということ。
なぜかというと、
(1)毛利家の祖である大江広元から1字を取るのはわかるが、なぜもう1字が毛利家の重臣とは言えない福島元長なのか? 二人の毛利家においての重要性を考えたときに釣り合いが取れなさ過ぎる。福島元長が広島城の築城場所の選定に関わったという記述もあったが、それだけで城の名前に使われるだろうか?
(2)大江広元の「広」は名前から1字を取っているのに、福島元長の「島」は名字から取っているということ。これは組み合わせとして不自然。
こんな理由から、やはりおかしいと感じるのです。
この二つの疑問点についてはネットでは解決できませんでした。
私はこんな疑問もあるので、「広島とは広島城が太田川の最も広い中洲に造られたことからきている。」という説を採りたいと思います。「人名引用説」の根拠になるような事実を知れば別ですが…。

蛇足ですが、「人名引用説」がなぜ広まったかについてですが、こんな感じではないでしょうか?

福島家家臣
「殿、ついに城も完成しましたな。お屋形様(毛利輝元)もお喜びでございましょう。殿の苦労も報われましたな。お目出度う御座りまする。して、新しい城の名前はどうなったので?」

福島元長 
「うむ。広島城と相成った。」

福島家家臣
「広島城とはいかなる理由で?」

福島元長 
「(自慢気に法螺を吹く)聞いて驚くなよ。実はの我が福島家の「島」の字から取ったのよ。わが福島家の名も千歳にも残るというものよ。誠に目出度い。がははははは!」

福島家家臣
「それは目出とう御座りまする。して、「広」の名は如何に?」

福島元長 
「(答えに窮して)う、うむ。そ、それはだな。我が毛利家の祖、大江広元様から取ったのよ。福島の「島」と広元様の「広」じゃ。どうじゃ凄いであろう。ははは(乾いた笑い)。」

福島家家臣
「それは誠に目出度い。こうしては居られませぬ。これは皆に知らせなくては。これにて失礼仕りまする。」

福島元長 
「こっこら。まてい、それはまずい。待てというに…。」

と言うわけで、元長の法螺は広島中に広く知れ渡った。(完)





…すいません。つまんなかったですね…。
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by soul_doctor2005 | 2006-01-27 16:10 | 趣味いろいろ
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