カテゴリ:塾の仕事を通じて( 90 )

虹の足

国語の指導をしていると、
取り扱う文章などで自分自身の心に残るものも多いのです。
その中でも
テキストによく掲載されている
吉野弘さんの「虹の足」という詩が私は好きです。

大雑把にいうと
周りの人にはその人が幸福だとよくわかるのに
その人自身は自分を幸福だと思っていない
そんなことが世の中ではある。
そんな内容です。

自分自身が今「幸せか?」と聞かれたら
正直堂々と「そうです」と言い切れないのですが、
こういう詩を読むと、「やっぱり自分は幸せだろうな」と思います。

子ども達にも以前そんなことを聞いてみたことがあります。
「幸せだ」と言った子は少なかったのですが、
本当は幸せだと思っていても、なかなか人前で堂々とは言えないですよね。
でも、堂々と言えるような子ども達になっていってほしいですね。
そういう環境を子ども達につくってやりたいと思います。
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by soul_doctor2005 | 2007-07-07 22:50 | 塾の仕事を通じて

我慢

かなり長い間更新をお休みしてしまいました。
連休明けから、夏期講習会の準備で忙殺されておりました。
まだまだ準備は残っていますが、昨日大きな仕事をひとつ片付けたので
何となく一息ついた感じです。
今後も更新が滞ることがあるかもしれませんが
更新を続けていきます。おつきあいのほどを…。


5月病というものありますが
これは社会人でも、学生でも同じのようで
塾に来ている子ども達も連休明けに
勉強がつらくなってくる子が出てきます。

そういうこともあって、昨日は退塾したいとの申し出が出てしまいました。
勉強についていけないからとの理由です。

実際今私たちがやっていることは
学校より難しいです。
でも、普通の子どもが頑張ればなんとかなる程度のものです。
一部の難関校を受験する子は別として
手も足も出ないと言うことではないのです。

今回のこどももそうですが
最近は子どもがというより、保護者の方(大抵はお母さん)が
我慢できなくなるというケースが多くなっているように感じます。

今まで教えてきた経験からして
当然ですが急に子ども達の成績が上がるということはめったにありません。

コツコツと日々地味な努力を繰り返して
それで半年や一年後に成果を多少なりとも実感できて、
2年3年と頑張って振り返ったときに
「以前に比べてものすごく力がついた。」と言われるようになる。
そういうものだと思うのです。

今回退塾を申し出て来た子どもの場合も
そういうケースです。
まだたった3ヶ月ですし、その短い期間でも効果はでていた。
私たちは、彼女(女の子です)の力の伸び具合に手応えを感じていたのです。

ですが、保護者の方はもっと成果が短期間で出るものと思っていたようで
「塾は何にもしてくれなかった。」と最初言われました。
塾で私たちがどう取り組んで来たかを説明すると
それが誤解だと理解していただけたのですが
「何もしてくれなかった」と言われたのは、心外でしたし、残念でした。
私たちの取り組みを、きちんと説明できていなかった部分もあったと反省しています。


ただ、やはり塾で習った内容は一度習えばすらすらと解けるようになるのが当然
とおもっておられる方は結構多いです。
そんなに簡単に結果が出るものではないのだということは
繰り返しお話しているのですが、まだ説明不足なのかもしれません。

塾での学習は、逆上がりや自転車の練習のようなものです。
苦労もせずに簡単に出来てしまう人もいますが、
そうでない人は何度も繰り返し練習して
それで出来るようになっていればいいのです。
簡単に自転車に乗れた人も、苦労した人も
何年かたってみれば、自転車の技量に大した違いはありません。
そういうものなのです。

最近の保護者の方(特にお母さん)は
すぐ身に付かないと
自分の子は出来ない子だと思ってしまう場合があるようです。
「うちの子どもは出来ない子です。」
「うちの子どもは才能がないんです。」
そんなことを当の子ども本人の前で言う方もいます。

子ども達は平均寿命通りなら あと65年以上生きるのです。
10歳やそこらで、子どもの一生を見限ってしまうなんてとんでもないことです。
私たち塾の指導者も子ども達の可能性を信じて指導しています。
保護者なら尚更です。

誰が、どんな人が「あなたの子どもは駄目だ」と言っても
親だけは子どもを見限ってはいけないのです。

今回のお母さんは、お話をしているうちに
「自分の方がもう限界なんです。」
とおっしゃったそうです。
確かに、こどもはまだやれたと思います。
頑張っていたし、少しずつですが結果も出ていた。
だからこそ、親が辛抱できなくてどうすると思うのです。

私たちの世代は、楽をして大きくなって来た世代なのだなと改めて感じます。
子どもよりも親の方が頑張れない
そんなケースが増えています。
「本人が嫌だという」から
「効果が出ない」からとすぐ辞めさせる。
お金を出しているから、効果が出るものだいう消費者の意識もあると思います。
でも、教育ですから店で買い物をするのと同じではないということを理解していただきたいです。

もちろん、全ての保護者ではありませんが、
保護者の皆様にも考えていただきたいと思います。
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by soul_doctor2005 | 2007-05-31 10:28 | 塾の仕事を通じて

入学式

今日は近郊の中学の入学式でした。
私たちの塾を卒業した子どもたちが数人
塾に制服姿を見せに来てくれました。

ほんの2ヶ月前までは一緒に勉強していたのですが、
こうして制服姿をみるととてもおとなびていて
とても小学生に見えません。(中学生になったのだから当然ですが…)

少しずつみんな大人になっていくんだなあ
と毎年ながらの感想を持ちました。

特に男子は、
もう1年もするとあっさりの私の背丈を抜かして
私を見下ろすようになるんでしょう。
複雑な心境です。

でも、こうして卒業した子どもが来てくれるのはとても嬉しいです。
他の子どもたちにも是非顔を見せてほしいものです。
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by soul_doctor2005 | 2007-04-07 22:24 | 塾の仕事を通じて

鈍感

この仕事をしていると
というかどんな仕事もそうだと思いますが
だんだんと、仕事の世界に慣れていって
世の中の常識と業界の常識が違っていても
自分たちの方が普通だとつい思ってしまいます。

ここしばらく保護者面談をさせていただいていて
そう思います。
ついつい私たちは
成績の良い子はほとんど問題が無い
と思ってしまいます。

でも実際に面談をさせていただくと
どんな保護者の方でも例外無く
自分の子どもは大丈夫だろうかと
思っておられます。

私も親ですから、
親の気持ちになって考えてみれば当然のことなんですが
仕事をしているとつい忘れてしまうことがあります。
いつのまにか鈍感になってしまっているのですね。

保護者面談を行うと、
それだけ他の仕事の時間を取られて大変な部分もあるのですが
多少忙しくなっても、保護者の皆様とお話をさせていただくことは本当に有意義だと思います。
もう少し面談会も残っています。

じっくりといいお話をさせていただきたいです。
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by soul_doctor2005 | 2007-03-29 20:16 | 塾の仕事を通じて

正論

今、私たちの塾では
新年度開講後の保護者面談期間中です。
私も多くの保護者の方とお話しさせていただくのですが、
その度に大切なお子様をお預かりしているのだと言うことを実感します。

その度に感じるのは、私は正論しか言えないということです。
いや、言えない訳じゃないのですが
つい話していると正論になってしまうのです。

正論といえば聞こえは良いですが、
要するに勉強していない子に「勉強しろ」と言うようなものです。
正しいかもしれないが意味のないことだと言えると思います。

保護者の皆様は「自分の子どもをどうすればいいのか?」ということを
知りたいはずです。
そういうときに私はなかなか「こうすれば絶対上手くいきます。」などと
保護者の皆様が安心するようなことを言えないのです。
嘘でもそういうことを言えれば、保護者の皆様は安心できるでしょうが…。

大抵の保護者の皆様は納得して、お帰りいただけると思うのですが、
私自身はいつも反省ばかりです。
ここぞというときに、いい言葉が言えればいいのですが
上手くいかないですね。
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by soul_doctor2005 | 2007-03-20 22:51 | 塾の仕事を通じて

新年度が始まって

私たちの塾でも新しい年度が始まりました。
新しい子どもたちも来て、新しい雰囲気で取り組んでいます。

新しい生徒が来てのしばらくの間は授業も休憩時間も
大忙しです。
というのも、新しい生徒の中には他の子どもたちと上手くコミュニケーションがとれなくて、寂しそうにしている子もいるからで、そういう子に声をかけなじんでもらうということが必要になるのです。

塾というのは別に嫌なら来なくても良いわけですから
嫌になったらいきなり来なくなることもあります。
ある程度なれてくればそういう心配も無いのですが…。

私たちの塾はあまり肩肘はって、身構えてくるような塾ではないので
何とか早くなれてほしいものです。
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by soul_doctor2005 | 2007-03-12 11:15 | 塾の仕事を通じて

断言

私は、子どもの頃から「断言」するということが苦手でした。
どちらかというと内向的な人間で、(今はそうでもないような気もしますが…)
何となく何かを言う前に考えこんでしまうところがあったのです。
自分自身があまり人に強く出ることが出来ない人間だったので、
何を話していても人に対して「断言」出来なくなってしまうのです。

塾の仕事をし始めてからもそうで、そのことが原因で
新人の頃は授業でも自信なさげに見えたようです、
上司から「先生が自信を持って、これはこうだと言えないと生徒は安心して学ぶことができない。」と言われ、自分なりに努力して、今ではかなり自信をもって授業をしているつもりです。

当時、上司に言われたことは確かにそのとおりで、
私は新人のころ、自分にも自分の指導にも自身が無くて、
「どこかに逃げ道を造っておきたい」という気持ちが、あったように思います。
「〜かもしれない」とか「〜と思う」とかいっておけば、あとで「言い切っていない」という言い訳が出来る訳です。(相手が納得するかどうかは別として…)


ただ、そうはいっても世の中には
自信を持って「こうだ」とは言い切れないものも多くあります。
仕事をするようになると。仕事のいろいろな場面で
「断言」出来ないものを「断言」することを求められる場面が出てくるのです。
私のような、しがない塾講師でもそうですから
一般の会社員の方はもっとのはずです。

私の場合、一番困ってしまうのは
志望校の相談です。
例えば小学4年生の子どもの保護者に
「○○中学校に合格できますか?」などと相談される場合があるのですが、
正直困ってしまいます。ある程度「可能性」という話なら出来るのですが、
まだ、本格的に受験学習に入っていない段階で、合否を断言するようなことは出来ないのです。受験直前に「合格確実」と感じる子どもでも、そうでない場合があるのですから…。

保護者の皆様からすれば、
専門の人間に「大丈夫」と言ってもらって
安心したいという気持ちをお持ちでしょうし、
子を持つ親として私にもその気持ちはよくわかります。
ただ、やはり「出来ないものは、できない」のです。

申し訳ないのですがそういう場合。
正直にある程度の話だけをさせていただくことになってしまいます。
「断言」してしまった方が、保護者の皆様は安心されるというのはわかっていますが
「嘘をつくことになってしまうのではないか」という思うが拭いきれないのです。
「断言」するというのは、本当に度胸が必要です。


「言葉尻を捕まえて」という言葉がありますが、
言葉足らずで、つい本意と違うことを話して
いくら後から言い訳をしても
「最初の発言が本心に違いない」と言われてしまう風潮がありますよね。
政治家を弁護する訳じゃないのですが、
先日の柳沢大臣の発言などは、問題発言ではあるけれど
彼を非難している人たちは、彼の発言を拡大解釈し過ぎだと思うのです。

そういう世の中だからか
子どもたちも、「言質」をとられることに敏感になっているのを感じますし、
私たちからも何とか「言質」を引き出そうとして来ます。
そうすると、やはり私たちもそういうことに敏感にならざるを得ないのです。

なんだかそういうのは嫌ですね。
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by soul_doctor2005 | 2007-02-19 11:36 | 塾の仕事を通じて

「知ること」と「感じること」

今日たまたま以前書いた。「特効薬」という記事を読み返していたのですが、読みながらふと昔のことを思い出しました。

もう数年以上前、中3で公民の授業のときです。
その日は日本国憲法の単元で、その中で「自衛隊」についての説明していました。
「自衛隊が海外に派遣されることには賛否両論ある。」そんな話をしていて、
その中で、ある生徒が「自衛隊の人は、自衛隊なんだから死んでもしょうがないじゃないか!」ということをいったのです。その子の頭の中では「軍隊で人が死ぬのは当たり前。」という意識があったのかもしれません。事実として軍隊というのは戦争をするあるいは、戦争に備えるものですから、死とは隣り合わせであるとおもいます。でも、「死ぬのは当たり前」ではないのです。いうまでもないことですが…。

今このときのことを思い出して、いかに自分が子どもたちに知識だけを教えているのかということを感じます。知識を教えると子どもたちは、「わかっている」と思ってしまう。
でも実感として「感じている」というのとは違うのです。それは私自身も大人になってわかったことです。

ある作家(幸田文さんだったと思います。)が、学校から依頼されて子どもたちに戦争体験を語ることになったそうです。それで、家に子どもたちが訪ねてきて、あれこれ質問される。
「戦争は大変でしたか?」と聞かれ。「大変だった」と応えるとノートに「大変だった」と書き留めて、すぐに次の質問へ、それもノートに書き留めてまた次の質問へ、そういう感じで、いくつか聞くと「用は済んだ」とばかりに帰っていくのだそうです。
言葉にできないような心の訴えこそが子どもたちの本当に理解すべきところなのですが、それは伝わらない。今の学校教育には、「器は作るが、中身をいれない」ようなところがあるように感じます。

踏切に入って命を絶とうとした女性を身を挺して助けた警察官の方が、今日亡くなりました。
たとえ警察官であろうと、それが職務であろうと「命がけ」というのは普通簡単にできるものではありません。それでも、心ない人は「警官なのだから、当たり前。」と言うのでしょう。
子どもたちには、こういう出来事から「本当に大切なものは、形あるものとは限らない」ということを是非学んでほしいと思います。そうして、「○○だから当たり前。」という大人にはなってほしくないと願います。

私自身もそうあるべきですし、せめて自分のまわりの子どもたちにだけでも、そう伝えていきたいと思います。
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by soul_doctor2005 | 2007-02-13 00:32 | 塾の仕事を通じて

習慣づけ

今日火曜日はとっても暇です。
というのも、これまであった6年生の授業がなくなったからです。
今月末の新年度開講までは、火曜日と木曜日は授業のない日が続き、
しばらくは新年度準備と生徒募集の受付だけになります。

もともと私は授業が大好きなので、かなり寂しいです。
その分他の学年の授業で気合いを入れるしかないですね。

今日の夕方、受験の終わった6年生が遊びにきました。
男子と女子がひとリずつなのですが、
やっぱり受験が終わって手持ち無沙汰なのだそうです。
「普段ずっと塾に来ていたから、塾に来ないと何だか変な感じがする。」
ということで塾に来てみたそうです。

先日訪ねてきた他の子どもも、
「何か勉強してないと違和感があって、気がついたらテキストを開いていた。」
と言っていました。
勉強していないと不自然だと感じるのはどうかと思うのですが、
やはり習慣になっているというのは凄いですね。

先日テレビ番組で、森脇健児さん(懐かしいです)が、
「自分は今一月に250㎞走っている。」といっていました。
「毎日走らないと気持ち悪い。だから、雪じゃない限り、毎日走る。雨でも走る。」
ともいっていました。
習慣というのはそういうものなのでしょうか?

私はどうも怠ける習慣ばかりついていていけません。
怠けていないと気持ち悪いです。
もうどうしようもないですね。
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by soul_doctor2005 | 2007-02-06 22:11 | 塾の仕事を通じて

親の痛み

相変わらず中学受験結果についての話題です。

ほぼ全ての子どもの結果がでました。
最終的に見てみると、「やはり今年の子供たちは力があったんだな」
という印象です。

この時期になると、ひとしきり受験での結果を受け止めた(良くも悪くもですが…)
保護者の皆様が挨拶に来てくださいます。
毎年のことですが、この時期に保護者の皆様とお話をさせていただくと
中学受験というものが、子供たちだけでなく保護者の皆様にとっても大変な難関であったことを感じます。子供たちの体調を気遣ったり、気持ちの変化に気を配ったり、それだけでも大変なのですが、「心配で眠れない。」とか「食欲がなくなった」などというお母様もおられました。

これは私も同じ気持ちなのですが、多くの保護者の方は
「できることなら自分が代わってやりたい。」と一度ならず感じるそうです。
自分が頑張りさえすれば何とかなるというのなら、まだ気が楽なのかもしれません。
私たちもそうですが、子どもたちの代わりに受験する訳にはいきません。
子どもたちが自分で頑張るしかない。
それを見守っているだけというのはなかなか苦しいものです。

私の子どもはまだ小さいので
私自身は、そういう親としての苦しみというのを感じたことがあまりありません。
最近はそれを「指導者として足りないもの」だと感じるようになりました。
「親の痛み」を知ることで、指導者としてもさらに成長し、
さらに今まで以上のモチベーションをもって指導に取り組めるようになるのではないかと感じるのです。

子どもたちをしっかり指導していくだけでなく、親の痛みを知り、保護者の皆様と一緒に少しでもそれを背負えるような指導者になっていきたいと思います。
そう考えるとまだまだ私は未熟だなと反省します。
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by soul_doctor2005 | 2007-02-05 01:21 | 塾の仕事を通じて