カテゴリ:ニュースについて( 23 )

学校の芝生化

産経ニュースより児童ら参加でコスト200分の1以下に 校庭芝生化で和歌山県教委

今まで学校の校庭の芝生化はコストの面から、二の足を踏んでいたそうですが
この記事みたいに「子供達にやらせる」というのはいいことだと思いますね。

今の子供達は周りへの依存心がとても強いですから。
自分たちで自分たちのことをやるということを
今の子供達はなかなか経験できないですから
コスト減だけじゃなく、子供達の教育にもなると思います。
広島でもぜひやってほしいですね。
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by soul_doctor2005 | 2008-07-07 11:39 | ニュースについて

秀才は心が「悪」?

私は観てないんですが
「ごくせん」という(ってみんな多分しってますよね)
番組の一部の内容に
精神科医の和田秀樹さんが異論を唱えたことが
ネットで議論になっているようです。

どうやら
「不良の方が心は純粋で、秀才の方が心が歪んでいる。」
というような内容で
「それはおかしい」と和田さんが主張しているそうです。

確かに、東大卒で官僚になって
汚職三昧なんてニュースも結構ありますから
「秀才=悪」なんて図式もすぐに浮かんでしまいますね。

でもまあ、和田さんも書かれていますし、
ネットの議論でも出て来ているように
結局は「不良だから」とか「秀才だから」というのは
多分あんまり関係ないんでしょうね。
不良で、秀才でも、どちらでもなくても
「いい奴」は「いい奴」だし
「いやな奴」は「いやな奴」なわけですよね。

何となく、今のテレビなどでは
「秀才」が犯罪を起こす方が
話題になりやすいような…。

不良ってもともと「悪い」イメージがあるから
不良が犯罪をするより
秀才が犯罪をする方がマスコミが盛んに取り上げる
という点はあるんじゃないかと思いますね。
だから
「秀才の方が悪い」というイメージが
出来ちゃったんじゃないでしょうか?

マスコミの影響って大きいですから…。
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by soul_doctor2005 | 2008-05-24 22:04 | ニュースについて

立場

今日のニュースで、今話題の東国原宮崎県知事が、
定例記者会見について「本当に必要なのか?」と
記者たちと激しいやり取りをしているのを見ました。

テレビでやっていた断片的な遣り取りを見ただけですが
少なくとも放送した範囲を見た感じでは
知事のいうことに一理あるんじゃないかと思いました。

記者たちがいっていることは簡潔にいえば
自分たちが持っている権利を守りたいということのように感じます。
「自分たちは県民を代表して質問している。」といいつつ
その質問をカットして掲載する。
「質問の答を全て掲載するのか?」といえば
「報道機関の編集権を軽視している」と答える。
今までそうだったから、それを今まで通り続けたい。
そのための理由をせっせと考えたという印象です。
知事のいうことの全てが正しいなどと全く思いませんが、
それでも「宮崎は変わらないといけない」という知事の訴えに
記者たちは「前例重視」という古い考えでのぞんでいるのだなと感じます。

と、ここまで記者の側の姿勢を批判したのですが、
一方で自分が当の記者立場なら同じ行動をとるだろうなとも感じます。
記者の方の立場ではやはりああするしかなかったのだろうとも感じます。


話は変わりますが、ちょっと前に教育再生会議で
議長(違うかもしれません)のノーベル賞をとった野依教授が
「塾をなくそう」と意見を展開したそうです。
勉強をするには学校があればいい。学校がしっかりしていたら、塾はいらない。
だから、塾を禁止しよう。
そういう趣旨だったと記憶しています。

結局他の委員が反対したので、総理への報告書には盛り込まれなかったそうですが、
その記事を目にしたとき
「何いってるんだ。塾をなくすなんて論外だ。」と思いました。

そのときはそう思ったのですが、
今振り返ってみると、
もし自分が学校の教員だったら、その意見に賛成していたかもしれません。
「学校で勉強しているのに、塾でまでやる必要は無い」と思ったと思います。

今の自分は、塾をなくすという野依教授の意見に対する反論をいくつでも用意できます。そのどれも正しいと自分で思っていますが、
正直に言って「塾がないと、仕事がなくなって困る」
という思いで反論するという部分も間違いなくあります。

よく改革を行うときに「総論賛成、各論反対」という形になることが多いのだと、記事などで目にしますが、そうなるのもよくわかります。

私だって「改革のために塾をなくそう。」といわれたら、
改革そのものが正しいとしても全力で阻止しようとするはずです。

人それぞれ立場がある。その立場の数だけ正しいことがあって
それをまとめないといけない。

そう考えると政治家って大変だと思います。
だからといって不正をする政治家は論外ですが…。
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by soul_doctor2005 | 2007-04-18 00:33 | ニュースについて

首都圏の大停電について

テレビなどでさんざんいわれていますが
ほとんどの意見に同感です。

日本はまだ多くの諸外国に比べ、
まだライフラインを維持し機能させるシステムは
割と上手くいっているのでしょう。
この停電が(わずか…とあえて言います。)
3時間ほどでほとんど復旧したのはその現れだと思います。

むしろ気になるのは、その電力に依存している私たちの方です。
3時間電気が使えないと社会生活が成り立たないような社会になっているわけですよね。
私は自宅にいますが、
今電気をじゃんじゃん使っています。
そもそも、このブログ自体がパソコンが動かないと更新できません。

私もかなり電気に依存して暮らしています。
広島で起こったらかなり困ってしまいます。
できるだけ電気に頼らない生活をしないといけないんですが、
なかなか難しいですね。
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by soul_doctor2005 | 2006-08-14 18:55 | ニュースについて

年金ってホントに大丈夫?

今日の午後、出勤前に昼のワイドショーを見ていたのですが、
年金の特集を見て、本当に大丈夫か?って不安になりました。

社会保険庁がいい加減な役所だというのはよく知っていますが、
今回の特集もひどかった。

⑴ある人が年金の納付状況を調べたら、2年間未納期間があるという
その人は確実に納付したという自信があったので抗議すると
「その期間の台帳がないから確認できない。」という。
だから納付したという領収書をもってこいという。
昭和24年から25年の二年間です。領収なんてあるはずない。
しかも、台帳がないのは「火事で焼けたから」とウソの説明をしているのです。

⑵また他の主婦は、「年金の未納分を納めないと保険証を出さない。」といわれて
未納分を納めたそうです。しかし。そのとき領収書を求めたのに断られ、しかも、その後未納分が
未納のままになっていたことがわかったそうです。抗議したら、領収書がないのだから
払ったと証明できないというのです。結局この方は泣き寝入りになってしまったそうです。

ひどい話です。
「台帳に記録がないから、納付を証明できない」
といわれたら私のように源泉徴収で引き落としになっている人間は
どうやって自分が保険料を納めたことを証明できるのでしょうか?
しかもその台帳の管理がいい加減極まりないのです。

⑴の方は、何と昭和24年から25年の給与明細をもっておられたのです。
それでも、「会社があなたの給与から引いていても、会社が保険料を払っていないかもしれない。」
といわれたそうです。

極端な話をいえば、職員が台帳に火をつけて焼いてしまったら、
「台帳がないから確認できない。」ということで、
焼けた台帳に載っていた人の年金は払わなくて良くなるということになってしまいます。
「そんないい加減な話があるか」と思うのですが、
そんな非常識なことがまかり通る役所だということですよね。
民間企業なら完全に詐欺です。

この役所の職員がみんな悪意をもってそういう仕事をしているとは思いません。
むしろ、いい加減な仕事をしているのにそれが普通だと思いこんで、
一生懸命「いい加減な仕事」に励んでいるのでしょう。
いわゆる「分母対策」などというものをニュースで見るとつくづくそう感じます。
「自分たちは必死で働いている」と抗議をして退職した幹部職員までいるわけですから、
私たちとの考え方のずれは相当なものです。

以前、「住民基本台帳ネットワーク」の法案を作るときに、
個人情報の開示について、公務員の罰則がないことについて
当時の福田官房長官が、
「公務員が悪いことをするわけがないから、罰則がないのだ。」
というような発言をして、物議を醸しましたが、
こういうところが、意識のずれなのですよね。
私の意識からすると、
「公務員だから、何かいい加減なことをやってるんじゃないか?」と思うのですが…。

学生時代に年金が払えなくて、「免除」の手続きをしました。
「免除」ですから、「払わなくていい」のだと思っていたのですが、
いつぞやの「年金未納問題」の時の報道で
「後で払わなくてはいけなかった。」ということを知りました。
「免除」と書類に書いていても実際は「猶予」なのだというのです。
でも、今までにそういう説明を全く受けていません。
多くの政治家が「年金未納」を指摘されて、辞職に追い込まれたりしましたが
「年金未納問題」の時、私のように知らないまんまに未納になっていた人もかなりいるはずです。

最近のニュースでは、かつて与党が約束した「現役時代の年収の50%」の年金給付額も、
このままだと守れないのが確実なようです。

守れないのに約束して、
結論が出せないと先送りして、
どうにもならなくなると責任を国民に押しつけるのが
公務員の常套手段。
これなら「年金なんか払うもんか」と思う人がいるのも当然。

ホントに年金もらえるのかな?
と真剣に不安です。
年金払わずに自分で貯めた方がいいかもしれないと本気で思います。
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by soul_doctor2005 | 2006-07-05 00:01 | ニュースについて

奈良の放火殺人事件について

奈良の放火殺人事件について

中学受験の指導をする私にとっては人ごととは思えない事件です。
受験が近くなるとやはりつい子どもたちに厳しい言葉を発してしまいます。
保護者の方ももちろんですが、私たちも子どもたちを指導する際に
「もっとを力をつけて欲しい。」そんな思いでつい指導に力が入ってしまう。
預かっている子どもたちを大切に思うからこそ、
そう感じるし、そう指導するのですが、
それが子どもたちに何らかの重圧を与えていることは否定できません。
子供によっては、私が意図してそうしている場合もあります。

子供の気持ちを考えて指導しているつもりですが、
今回の事件を見て、
子供の気持ちを考えて指導しているといっても、
あくまで「大人の基準」でモノを見ている場合があるのではないか。
と感じます。

子供が重圧に耐えきれないとき、
大人はその重圧から解放してやる(一時的であっても)必要がありますが、
私たち塾の講師はそれが出来にくい立場にあります。
重圧の内容が「勉強」である場合「勉強するな」とは言えないのです。
私たちは「勉強させる」のが仕事ですから当然といえば当然ですが…。

塾の先生方によって意識は違うのかもしれないですが、
私は生徒に雇われているのではなく、生徒の保護者に雇われていると思っています。
ですから保護者の意向を無視するわけにはいけないと思っています。

一人の子供を学校の先生と親(さらに塾の講師)とで見ていくわけですから、
いろいろな大人にいろいろなことを言われる子供は辛いのかもしれません。
確かに今の子供は大変だなと感じます。
ただ、私や私の親の世代に比べて極端に厳しい環境に置かれているとは思えないのです。

私はいわゆる「団塊ジュニア」と呼ばれる世代で、
受験でも就職でも同年齢の人間の人口が多かったので
(私の世代がピークで後は減り続けています。)
それなりに厳しい競争にもまれてきたと思います。
、今の子どもたちは、当時の私の年代の半分くらいの人口しかいません。
単純に考えると、受験でも就職でも競争率が半分のはずなのです。

塾の仕事を始めてから知ったのですが、
今の高校生は、私たちが入るのに四苦八苦していた大学を
当時の私たちよりずっと低い成績で合格できるのです。
正直うらやましいと感じます。
だから今の子供全てが学習面で特に厳しい競争にさらされているとは思えないのです。

私たちの世代や私の親の世代は厳しい受験競争の時代でしたが
だからといって、今回のような事件が頻発していたことはなかったと思います。

ですから今回のような事件が続くのには社会的な面の影響が多いと思うのです。
「ゆとり教育」だけでなく、今の日本は「勉強しすぎ」「働き過ぎ」からの反動で
生活にゆとりをもとうとするような傾向が見られます。
その一方で、社会人になれば競争社会にもまれるという現状もあり、
キャリア志向が強く、寝る間も惜しんで働いたり、技能を身につけようとしている人もいます。
最近よく「勝ち組」「負け組」などという言葉が使われますが、
こんな風に社会の風潮が二極化してきていることにも、今回の事件の背景があるように思います。

「他人の芝生は青く見える」といいますが、
みんなが同じような状態にあった私たちの世代は「他人の芝生も同じに見えた」ので
そこまで不満はたまらなかった。
でも、今の子供は今の自分と違う生き方をしている人を知っている。そうすると、自分だけが特別に厳しい環境に置かれているように感じるのではないでしょうか?

ただ、世の中に「勝ち組」と「負け組」があるなら、「勝ち組」に入れたいというのか親の正直な心情だと思います。そういう思いから子供を非常に厳しい環境に追い込む親もいるようにも感じます。報道を見た限りでは、事件を起こした少年の両親はそういう傾向があったようにも感じられます。もしそうなら、少年も気の毒だったと感じます。

正常な判断が出来ないまでに追いつめられていたのでしょうか?
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by soul_doctor2005 | 2006-06-24 23:35 | ニュースについて

山口母子殺害事件の判決について

被害者の夫の本村洋さんは、判決の後で「最高裁で死刑判決が出て欲しかった」とおっしゃったそうですが、そのニュースを見る前に私も同じことを感じました。

この事件が他の事件以上に私の印象に残るのは、隣県の事件であることと、本村さんが私と同年代の人である(私は本村さんより2歳年上です。)ことなどからです。
 本村さんはこの数年、殺された妻子の無念をはらすことのためだけに生きてこられたように思われます。私にも妻子がいますが、本村さんの無念は察するに余りあります。
その無念を察しての最高裁の判断だとは思うのですが、これまで数年間を費やした本村さんにまだ数年間費やせというのでしょうか?
最高裁で判決が出て、さらに弁護側が上告ということになればまた数年の期間を要することは明白です。
本村さんが事件の為に失った時間を思うと日本の司法制度の問題点の多さに腹立たしさを感じます。

この事件だけでなく日本の裁判は時間がかかり過ぎる。
行政訴訟などでは、決着がついた時には原告の多くの人たちが老いて亡くなられている。それでは何の為の裁判なのかわからない。
今ちょうどその為の改革を行っているはずです。
それなのに司法の頂点に立つ最高裁がこのような判断を下したことが残念でなりません。

自論である「死刑制度廃止」をこの裁判に持ち込んで
「政争の具」にしようとしている安田弁護士の姿勢にも疑問を感じます。

こんな人ばかりがいるような法曹界なら、
「裁判員制度」で自分が選ばれて裁判に参加することも仕方がないのだろうか
とも感じます。
どうも司法の世界にいる人たちの考えが自分たちとはかけ離れているように感じるのです。
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by soul_doctor2005 | 2006-06-21 00:02 | ニュースについて

「勝ち」をめざすこと

W杯が開幕しました。
これからしばらく寝不足の日々が続きます。
大変ですが、それだけの素晴らしい試合があること期待して
眠気をこらえてしっかり観戦します。

私は、W杯の64試合何とか全て見るつもりでいます。
もちろん全てがいい試合というわけではないでしょうが、
一つ素晴らしい試合を見てしまうと、全て見ずにはおれなくなるのです。

W杯の素晴らしいところは、やはり世界の一流選手が勝つためになりふり構わず闘うところにあると思います。昨晩のイングランド対パラグアイ戦、スター軍団イングランドに立ち向かったパラグアイの選手達の闘志あふれる戦いぶりは素晴らしかったです。明らかにパラグアイは引き分け狙いでしたが、それもあくまで予選を勝ち上がるため。「相手がイングランドだから負けても仕方ない」とは全く考えていなかったはずです。

予選リーグはたったの3試合。トーナメントは負ければ終わり。そういう後のない戦いだからこそ見ることの出来る戦い。だからこそ世界の多くの人が熱狂するのだということを私自身が感じています。

プロのサッカー選手と塾の子どもたちを比べるのも何ですが、
子どもたちにも「勝ちを目指す」ということを考えて欲しいと思います。
もちろん勝つことが全てだとは思いません。
勝つため(勉強の場合はいい点を取ること)だけを考えさせるような指導はしていませんし、
するべきではないと思います。
ただ、遊ぶのでも勉強でも習い事でも、「うまくなろう」「負けたくない」という思いで取り組んでいる方が力はつきますよね。そういう子の方が、生活も充実しているように感じます、
全ての子ではないですが、「親にしろといわれたから」「別に勉強なんか出来なくてもいい。」と思っている子がいるんですよね。そういう子はたいてい他のことも中途半端に取り組んでいる感じがします。

この一ヶ月の間にW杯を見る子供は、私の指導する子どもたちの中にもたくさんいます。
試合の見る中でただ「勝った、負けた」だけでなく、「一流の選手でも勝つために必死なのだ」ということを感じ取って欲しいです。でももしかしたら、「一流だから」必死で勝ちを目指すのだといえるのかもしれませんね。
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by soul_doctor2005 | 2006-06-11 23:11 | ニュースについて

「祈る」ということ

度々書いていますが私は広島の人間です。
広島で生まれ育った子供は、必ず(最近は違うようですが…)学校で
「平和教育」を徹底して習います。

広島市の花は「キョウチクトウ」
「百年間は草木も生えない」と言われた原爆後の広島に
最初に咲いたのが「キョウチクトウ」の花、
それが市の花の由来だと習ったのを今でもはっきり覚えています。

原爆が落とされた8月6日は、毎年学校の登校日でした。
「平和公園」で行われる「平和記念式典」にあわせて学校で黙祷します。
そして、みんなで「なつやすみ帳」の原爆ページをみんなで勉強するのです。
今は、かなり変わってしまったようですが、私の子供の頃はそうでした。

そういう広島ですから、8月6日が近づく今の時期になると
だんだんとテレビや新聞、ラジオなどでも
「祈る」とか「祈り」という言葉が
頻繁に使われるようになってきます。
「平和の祈り」「平和の誓い」そんな言葉が聞かれるようになると
「また、原爆の日がくるんだな」と感じるのです。

ふと、ふり返って考えてみると、
自分は最近「祈る」ということをしていないなと感じます。
それに今思うと、数年前までは「祈る」ということがどういうことなのか
実感としてはわかっていなかったとも思います。

世界のどこかで核実験が行われると
広島では被爆者団体の皆さんが
抗議の座り込みをします。
広島市長はその都度抗議の文書を送ります。
私には正直言って最近までそれらの行動が
「無駄」にしか思えなかったのです。
何度抗議をしても無視されるのがわかっている。
なのになぜ意味がない行動を繰り返すのか?
そんな思っていたのです。

ですが今はそういう行動をしておられた方々の気持ちが
わかるような気がします。
自分なりにですが、「祈る」という言葉や行動の意味が
わかるようになってきたからです。

2001年の元旦に私の父がガンで亡くなりました。
私はそのころ結婚が決まっていて、
父が入院したことでそれが延期になっていました。
「父が元気に回復し、結婚式に出て欲しい。」
そう思って延期をしてきたのですがそれはかないませんでした。

その後結婚し子供もできて、
仕事では校舎責任者として管理職になりました。
家庭でも仕事でも、だんだんと生前の父の立場に近づくにつれて、
「こういうとき父もきっとこう思っていたんだろう。」とか
逆に「こういうとき父はどんなことを考えたのだろう。」と
あれこれ考えることが多くなりました。
「父と色々話したい。」そう思うことが多くなってきました。
でもそれはもちろんかないません。
そんなことがあってから、自分は「祈る」という言葉や行動を
理解できるようになってきたように思います。

人間に出来ることには限界がある。
でも、時にはその限界を越えることを願ったり望んだりしてしまう。
それを叶えるのは無理とわかっていても、
気持ちが抑えきれなくて
「祈る」という行動につながるのだろう。
いまはそんな風に理解しています。

でも、今の世の中って
「祈る」必要がどんどん少なくなっている社会だなとも感じます。
「願って叶うこと」だけを追い求めて、「無理なこと」はあっさり諦める。
そんないい意味でも悪い意味でも「あっさり」とした世の中になってしまっているように感じます。
何となく淋しいですね。
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by soul_doctor2005 | 2006-06-08 23:21 | ニュースについて

教員免許の更新制について

私は元々教員志望でした。
大学で教職の勉強をしましたし、
中学と高校の教員免許を持っています。

結局は教員になりませんでしたし、
これからも教員になろうとは思っていません。
元々塾の仕事を始めたのは、
教員採用試験に合格するまでの「腰掛け」のつもりだったのですが、
今ではこっちの方が自分の性に合っているという気がします。

まだ決まったわけではありませんが、
教員の免許が「更新制」になるようです。
そのニュースを見たときに最初に感じたのは
「ああ、そうか。じゃあ自分の免許も失効しちゃうんだな。」
という感想でした。世の中全体からするとどうでもいいような感想ですが…。

それなりに一生懸命勉強したので
私個人の免許が失効してしまうのは正直寂しいのですが
更新制については基本的に賛成です。
ただ無条件には賛成できません。

というのも、無条件で更新できたら更新制の意味がないですから
当然期間(10年になるようですが)がくれば
更新のために適性をチェックするはずです。
その時、その適性検査がどのような内容になるかによって
免許の更新制の意味や目的がかなり変わってくるように思えるからです。

もともと免許の更新が必要とされるのは
自動車免許などでもそうであるように
ある程度の期間が過ぎると
免許発行時の技量を大きく下回って
免許を保持するのにふさわしくない人物が
免許を保持する危険があるからだと思います。

今回の教員免許の場合も
更新制の是非が叫ばれ始めたのは
著しく適性を欠く教員が多数存在することがわかってきたからだと言えます。
「授業が下手」とか「指導している教科の問題が満足に解けない。」とか
「問題行動がある」とか
そういう教員を淘汰するということであれば
更新制は必要だと思います。
(どういう方法で問題教員を見つけるかという問題はありますが)

ただ、今回のニュースではそれに加えて
「時代に合わせて、教員も新しい技能を身につけるべきだ。」
という主旨の内容も更新制を行う理由として挙げられていました。

確かにそうかもしれませんが
「新しい技能を身につけること」を免許更新の条件にするのはどうかと思います。
教員も時代に合わせてレベルアップしていかないといけないのはそうなんですが、
学校の先生方の現状を考えると、
「今の教務をしっかりこなしていくので精一杯」という先生方はかなり多いはずです。
学校行政も「縦割り社会」ですから、何かにつけて「会議」だの「報告書」だのと
事務仕事に忙殺される先生方は多いのです。

学校週5日制になったとき、世間で「学力低下」が懸念されたということで
その際も文部科学省や教育委員会から、「指導案の作成」や「授業の成果の報告」、「学力低下を防ぐ施策の報告」などを求められ、その作成で夜も寝られないということもあったそうです。

また現行の学習指導要領で始まった「総合学習」。内容が各校の裁量に任せられている分、準備や手配が大変で、「土日はほぼ総合学習の準備、休む暇もない。」という先生もおられるようです。ただでさえクラブ活動などを担当している先生は休日返上なのです。

大学時代の友人の中に教員になった人もいますが、これらのせいで
「満足に生徒と話すことも出来ない」そうです。
更新制をあまり厳格に採用することで、
これ以上の負担をかけることは結局子ども達のためにならないと思います。

話は変わりますが、私は子どもの頃から約20年全く同じ床屋に通っています。
そこではよく教育についての話もするのですが、
あるとき、そこのおばちゃんに
「学校の先生と、塾の先生はどっちが大変?」と聞かれました。
「断言できるけど、間違いなく学校の方が大変。」
私はそう答えました。

周りから「聖職」だといわれて、日常でも周りに気を遣い、
厳しい条件で働いておられる上に、最近は世間の風当たりも強い。
子どもが問題を起こすのは必ずしも学校だけの責任じゃない。
それでも何かあると「対応に問題があったんじゃないか?」といわれます。

先日のマンションから女の子が転落した事件でも
学校の会見で
「いじめはあったのか?」とか
「学校で変わった様子があったんじゃないか?」とか
かなり記者に厳しい質問を浴びせられていました。

先生方も人間ですから
仕事にやりがいや誇りを持てるような気持ちになりたいはずです。
どうも最近締め付けるばかりで、
真面目に働いている世の多くの先生方が気の毒に感じます。
そういえば、学校の先生の給料も3〜5%くらい減らされるそうです。
更新制で「いつ首になるかわからない」、「給料も減る」じゃ
やる気もでませんよね。

更新制は必要ですが、
「問題教員を排除する」という程度にとどめた方がいいのではと思います。
真面目で一生懸命な先生方がやる気を無くしてしまったら、
そういう先生に指導される子ども達がかわいそうです。

「更新にはパソコンの技能が必要。」とかになって、
「先生が子供そっちのけで、パソコンの勉強」
なんてことになったら本末転倒です。
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by soul_doctor2005 | 2006-05-27 01:38 | ニュースについて