<   2006年 02月 ( 17 )   > この月の画像一覧

素質と環境

突然ですが
勉強が出来るようになるのに「素質」っているんでしょうか?
そもそも勉強の「素質」って何なのでしょう?

今日はそれをずっと考えています。
考えが自分なりにまとまれば、また続きを書きます。

眠気が襲ってきたので今日はこのくらいで…。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-28 23:27 | 塾の仕事を通じて

広島県知事の不正経理疑惑について

藤田雄山広島県知事の後援会が、政治資金規正法に違反して8300万円もの収入を報告書に記載しなかったということで、後援会の事務長が逮捕され、先日初公判が行われました。
先日初公判だったのに次回はもう結審だそうです。
このニュースをラジオで聞いて「なんだそれは」と思いました。

昨年11月に広島県知事選挙が行われ、完全な無風選挙で難なく藤田知事が当選したのですが、投票率が何と30%を下回ってしまいました。
私は日曜日は仕事なので、仕事が終わった後午後8時の締め切り間際に投票したのですが、帰宅するともう当選確実が出ていました。おかしなものです。
開票率0.1%で当確って何なんでしょう?

今回の不正とこの選挙を考えると一つの結論が浮かんできます。
投票率が低いと組織票を持つものが有利になる。
そして組織票を固めるには金が要る。その金は表立って使えないので裏金にする。
8300万円という金額はそういう金額だ。そういわれても仕方がないと思います。
そして実際そうなのでしょう。今回の公判の検察の主張では、かなりの金額が県会議員に流れたと言われています。

不正を行うのが悪いのは当然。ですがその背景には「金で選挙が買える」という事実があります。それというのも県民の投票率が低いのが原因。
投票率が上がり、その大半が無党派ということになれば、政策や実績で支持を集めるしかない。県民がその意識を持たないと不正はなくならない。そう思います。

不正の温床を県民が自分たちで作っている。その意識を持って投票に行くべきです。
これは他の選挙でも同様のはずです。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-26 22:45 | ニュースについて

ダブルスタンダード

昨日アメリカがイギリスと共同で「臨界前核実験」を行いました。
荒川選手の金メダルのニュースにかすんでしまいましたが、私はこちらがとても気になりました。

私は広島の人間です。学校では反核の教育を受けましたし、広島は軍縮や護憲の意識が強い土地柄です。
ただ、私自身は核兵器はともかく、憲法は変えたほうが良いと思っていますし、核実験の度に被爆者団体が行う座り込みにも疑問を感じることがあります。でも、やはりアメリカには疑念を感じます。

今回の核実験に感じるアメリカへの疑念(不信といった方かいいかもしれません。)はアメリカの考え方に「ダブルスタンダード」を見て取れるからなのです。

この核実験だけでなく、アメリカは世界に対しては恰好良いことを言うのに、自国が関わることについては非常に自分勝手な部分が多いのです。そう感じざるを得ません。
それでいて「アメリカは世界で一番素晴らしい国だ。アメリカが世界一だ。」と思い、主張し恥じるところがない。そういう姿勢にアメリカの傲慢さを感じます。

BSEの問題では、アメリカに明らかに非があるのに、安全性の問題を通商問題に置き換え、再三に渡る圧力をかける。輸入が再開された後も合意に違反し、脊髄を除去しないまま輸出する。さらにその非を認めず、「安全性に問題ない」と言い張る。
また、国内で歩行困難な牛を食肉にし、そのことが問題になると根拠もなく「足を怪我をした牛だ。(ジョハンズ農務長官)」と主張する。恥ずかしくないのかと言いたい。

今回の核問題に際しても、北朝鮮やイランなどには再三査察を受けるよう要求したり、CTBTの規定を順守するよう求めておいて、アメリカ自身はCTBTを守らない。

捕鯨に関しても、日本やノルウェーの捕鯨に強硬に反対し「捕鯨自体が野蛮だ」とまで言いながら、自国のアラスカには捕鯨を認めるよう求めている。

地球温暖化の問題では、世界の4分の1もの二酸化炭素を排出しながら、経済問題を理由にして、京都議定書を認めない。

古い話ですが、貿易摩擦が問題になったときには、日本のさまざまな事を非関税障壁だと言い出し、揚げ句の果てに「日本人が日本語を使うのが、非関税障壁だ」とまで言う。ここまでくるとあきれてモノが言えない。

個人的に特に自分は「反米」の気持ちが強いわけではないのですが、それでも日々のニュースを見ていると、アメリカのやることに「おかしい」と感じることが多いのです。ただここでいう「アメリカ」というのは「アメリカ政府」のことで「アメリカ人」ではありません。全てのアメリカ人がアメリカ政府を支持しているわけではないですから。マイケル・ムーアのような人はアメリカでは決して少数派ではないと思います。

今のアメリカ政府はアメリカが「世界の一員」であることを忘れて、まるで世界の支配者のように振る舞っています。ブッシュ政権が終われば、変わるのでしょうか?
こんなアメリカに追従する小泉政権もどうかと思います。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-25 19:46 | ニュースについて

不審者あつかい

私は普段は土日に働いて、月曜日と金曜日に休んでいます。
そのため、用事を済ませるのに平日の昼間に銀行や大型のショッピングセンターなどに出かけます。

最近土日祝日に働く人が多いとはいえ、平日の昼間に大の男が一人、店でウロウロしている(ようにみえる)と、挙動不審に見えるらしく、たまに子ども連れのお母さんなどにかなり警戒されることがあります。
「普通に用事で来ているだけだ。」と言いたいところですが、声などかけたらさらに怪しいに違いないので、特に何もしません。

先日、「ダイアモンドシティ・ソレイユ」という大型ショッピングモールにある書店に行きました。ここは、駐車場も店内も非常に広くて、その書店まではあるいて7〜8分近くかかります。その書店へ歩いて向かっていたのですが、たまたま少し前に3歳くらいの子どもと手をつないだお母さんが歩いていました。歩く方向が同じだったので、ずっとその親子連れの後ろを歩いていたのですが、明らかに私のことを警戒しています。5分あまり後ろを歩いた後の店内でこちらをチラッと見た後で、急に子どもを抱きかかえて走り去ってしまいました。

正直あまりいい気分はしませんが、親がそこまで気を遣わないと子どもの身を守れないと感じるのも無理はないとも思います。私にも娘がいるので、子を持つ親の気持ちは分かるつもりです。昨日も岡山県の「おもちゃ王国」という遊園地に子どもを連れて行ったのですが、歩くときはやはり手をつないでいないと心配です。

嫌な事件が続きますが、子どもを安心して育てられるようになって欲しいです。
そしてそのために私たちも何か出来ることがないかと思います。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-24 15:40 | 日常の出来事

希望学

遅ればせながら、オリンピックで女子フィギュアスケートのSPを見ました。
日本の選手も頑張っていましたが、スルツカヤ選手のエピソードには心動かされるものがありました。
人間生きていくために目標や夢を持っているということがとても大切なのだと感じます。

昨日たまたま入塾試験を受けに来た子供のお母さんとお話しをしたのですが、その時に「希望学」という学問の話をしました。これは最新版のイミダスに載っていたのですが、正確には学問と呼ぶまでには至ってないかもしれません。ただこういうことを研究している方がおられるのです。

その研究によると、子供の頃に将来なりたい仕事ややりたいことがあったという人の中で実際にその仕事ややりたいことが実現した人は約9%位だそうです。
やはり、なりたいと思った仕事につくのは実際は難しい。
では、将来の夢や目標を持つのが無駄かというと…そうではない。

実はその続きがあって、子供の頃に将来なりたい仕事ややりたいことがあったという人は、そうでない人に比べて今の仕事や生活に対する満足感ややり甲斐を感じている人の割合がずっと高いのだそうです。
絶えず目標をもって頑張っていくことで、たとえ子供の頃の目標が実現しなくても、また新しい目標を見いだして頑張っていけるということなのではないでしょうか。

自分の臨まない環境にいても、その中で自分の目標ややり甲斐を見つけられる。実際、人間が生きてきて、自分の思い通りの生き方が出来る人なんてほとんどいないわけですから、これは大切な事ですよね。

恥ずかしながら、私は外交官になるのが夢でした。杉原千畝さんの実話を読んで、「こんな人になりたい」と思ったのです。勿論夢は実現しなかったのですが、そのことを「挫折」とか「失敗」とは思っていません。
今までそんなに苦難の人生を歩んだわけではないですが、それでも何か節目節目で悩んだとき自分なりに、「どうするべきか」を自分で一生懸命考えて自分で選んで来たつもりです。そのことに後悔はありません。

冒頭の希望学の結果は当然だと思います。
頑張ってきた人ほど、自分に自信も信頼も持っている。
だから、自分が「幸せだ」といえる。そういうことではないでしょうか?

余談ですが…
私が、今まで見た映画の中で最も好きな作品は「ショーシャンクの空に」という作品です。絶望的な状況に追い込まれながら、「希望」を捨てなかった男の物語です。この物語に感動するのは「希望」というものが、絵空事じゃなく本当に必要で現実のものだと感じられることにあると改めて思いました。
人前でボロボロ泣いた映画はこれが最初で最後です。
主人公が親友レッドに送った手紙が印象的でした。
「レッド、希望はすばらしい。人生を賭ける価値がある。」

本当にその通りだと思います。希望がなかったら、生きている意味がないですよね。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-22 23:11 | 塾の仕事を通じて

安部龍太郎「生きて候」

f0003933_20483367.jpg
ホームページの書籍評にコメントを載せたのですが、この作品、大変素晴らしい作品です。
まだまだ戦国にはこのような世に埋もれた傑物がいる。これだから時代小説はたまらない。そう思える作品です。
小野不由美さんの「十二国記」シリーズといいこの作品といい、ここ最近素晴らしい作品に出会えて嬉しいです。

国語を指導していると文章を読むのが苦痛でたまらない子がいますが、素晴らしい作品に出会えば「読む楽しさ」が感じられると思うのです。そうすれば読解力なんてすぐにつくと思うのですが、今の子供たちはなかなかそういう機会に巡り合うことが少ないようです。物質的、経済的に恵まれて色々なことができるということが必ずしも良いことではないとつくづく感じます。

昔の子供はきっとむさぼるように本を読んだのでしょうね。私の教える子供たちにも是非そういう作品に出会って欲しい。そう思いますしそうなるよう頑張っていきたいです。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-19 20:48 | 日常の出来事

苦しみと喜び

オリンピックもほぼ半分が終了しました。
深夜に中継を観続けて寝不足という人もいるでしょうが、
私はもっぱらほとんどの競技を録画&ニュースで確認という状態で
熱心に見ているという状態ではないかもしれません。

ただ、さまざまな競技を見ていて感じるのは、
この大会にために積み重ねてきたものの重さです。
アスリートにとって、五輪は特別。
三位と四位の間には順位一つ分以上の差がある。

メダルを手にした者、逃した者が見せる歓喜と落胆の表情に
それぞれの選手がこの大会に懸けてきたものの大きさを感じます。
日本の選手がなかなかメダルを取れませんが、日本人としてそのことに不満は感じません。それは、彼らがいい加減にこの大会に臨んでいないことがよく分かるからです。

世界には非常に多くの国があり、大半の国ではメダルなど夢のまた夢です。
それでも、自分たちの国の代表を熱心に応援するのは、自国の代表として全力で闘う選手達に心動かされるところがあるからだと思うのです。
日本人は勝つことに慣れ過ぎている。そう感じます。

選手達がこの舞台に立つまでの苦しみ、この舞台に立てる喜びを自分のもののように感じられることにこそ五輪を観戦する本質があるように感じます。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-19 02:08 | 日常の出来事

卒業祝賀会

今日は、受験の終了した小学6年生の卒業祝賀会でした。
今まで、ずっと塾では勉強ばかりやってきたのですが、今日に限っては勉強禁止です。
午前中から食事やお菓子や遊びの準備をして、子ども達を待っていました。

今年は、私が家からホットプレートを持ってきて焼きそばを作ることにしていました。
去年は子ども達が遠慮してかなり用意した食べ物が余ったので、焼きそばもどのくらい食べてくれるのかちょっと心配でした。そのほかにもオードブルやたくさんのお菓子や飲み物を準備していました。

とにかくずっと頑張ってくれたので、今日は楽しんで欲しい。そういう思いでした。
せっかく来てくれるのだから盛り上がって楽しんで欲しい。祝賀会の時はそれだけが気がかりです。

ですが、今年の子どもについては全く杞憂でした。
私たちが特に盛り上げようとしなくても、どんどん子ども達で盛り上がってくれて、本当に楽しい会になりました。本当に良かったです。

盛り上がりに比例して、会場になった教室も、ひどい散らかりよう。
「片づけが大変だ」と思いながら職員室で一息ついていたら、午後9時をまわった位になって、遊んでいたはずの数人の女子生徒が後かたづけを始めました。
お客さんのはずの子ども達の行動にあわてて私も片づけを始めたのですが、子ども達の片づけ方が本当におざなりではなく丁寧で、しかも細やか。
時間も遅かったので、ある程度片づいたところで「もういいよ。ありがとう。」と片づけを終えるように促したのですが、それでも結局ゴミの分別から、机の整列、床の掃き掃除から、机の拭き掃除までやってくれました。
今までの授業の中ではみることの無かった子ども達の姿を見て感心しました。
そして、「自分は今まで子ども達の一面しか見ていなかったんだなあ」と感じました。勉強ができることより、ずっと大切なことを知っているし、できている。
それがとても素晴らしいことだ思ったのです。

ずっと教えてきた子ども達を送り出すのは、本当に寂しいことです。
でも寂しいのは指導者の方だけで、たいてい子ども達はケロッとしているものです。

ですが、今年最後まで残ってくれた子ども達は、「寂しい」とか「まだ帰りたくない」と言ってくれました。
それぞれが、授業で自分が座っていた席に座って、「ここに○○さんがいて、こっちに○○君がいて…」と授業の時のことをひとしきりみんなで話しました。
全員では無いとしても、塾に来れなくなることを惜しんでくれる子がいたことが本当に嬉しかったです。

私が今の職場に来たのが一年半前。その時はこの子達は5年生でした。
塾長から「この学年は大変だ」と言われていたのですが、本当でした。
ものすごく賑やかで、最初は授業が上手く進められず、叱ってばかりいました。
思うように授業が進められるようになって来るまで、一月近くかかりました。
6年生になってからも、あまりに緊張感が無い様子に、やはり叱ってばかりいました。
「とにかく自分がどんなに嫌われても、子ども達の力をつけなくては…。」
そう思っていました。だから、この学年では自分はあまり好かれていないと思っていました。それだけにうれしさも格別でした。

最後に残っていた子ども達が、帰り際に一人一人頭を下げて「ありがとうございました。」と言って帰っていった時には、正直涙が出そうでした。
われわれの塾に来てくれたことを、心から感謝しました。
と同時に「もうこの子達に授業をすることは無いのだ。」と思うと寂しくて仕方なかったです。

今日来てくれた子ども達の中には、多分もう二度と会うことが無い子もいるはずです。
全員が揃って塾に来てくれることも多分無いはずです。
そう思うと寂しいのですが、子ども達が新しい生活を始める門出ですから、こういうのは「晴れやかな別れ」と言うべきでしょうね。

自分が卒業式を迎えたときの気持ちを再び感じたように思います。
自分が卒業するわけではないのですが…。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-17 01:04 | 塾の仕事を通じて

製造者責任

f0003933_9561918.jpg
先日、私の家にも松下電器からこのハガキが届きました。
ニュース記事で来ることは知っていましたが、こうして実際に届くといろいろ感じることがあります。

ここ数年、マンションやホテルの建築の偽装問題や、食品の表示の偽装、三菱自動車のリコール隠しなど、企業が顧客である消費者を欺くという事件が頻発しています。
そういうことをした企業は社会的制裁を受けるのが当然で、実際に雪印食品は会社解散に追い込まれたり、他の企業でも売上の大幅減がおこっていますが、それでも未だに「みつからなければいい。」と考えて不正を行っている企業はあると思います。

これだけ事件が頻発すれば、「それが氷山の一角ではないか」と考えるのが普通です。

一方で、松下電器はそういう企業とは違うしっかりした対応をしていると感じます。
このハガキの他にも、頻繁に流されたテレビCMもあり、私の町内会では掲示板に告知のポスターも掲示されていました。これらにかかった金額は莫大なもののはず。

もちろん、製品に欠陥があり、その結果死者まで出ているということは、許されるべきではありません。そのことについて、松下電器はきちんとした責任を果たすべきです。実際に被害を受けた人は、いくらその後誠実に対応したからといって、それで全てを許すという訳にはいかないでしょう。それも当然です。

ですが、その後新たに被害が拡大することを防ぐという点については、松下電器は非常に真剣に全力で努力していると思います。事件が起こると責任逃れに終始したり、開き直ったり、ほとぼりがさめるのを待っているような企業が大半な中で、よくこれだけの対応ができたと思います。

私も消費者の一人ですから、不誠実な対応をした企業が報道され、批判されるのは当然と思いますし、それに相応しいペナルティを受けるのも当然です。
ただ、それだけではなくてこういうきちんとした対応をしている企業を評価するべきではないかと思います。

「松下は大企業だからここまで出来た。」ということは確かにあると思います。ですが、こういうときは企業の大小に関係なく、その企業が出来る最大限の努力・対応をするべきです。それが「製造者責任」ではないでしょうか。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-15 09:56 | ニュースについて

幼さ

今日はある生徒の保護者のお母さんと面談をしました。
その話の中で少し気になることがあったのです。

その生徒は以前別の塾にいて、その塾にいたときに塾の先生に
「幼い子は中学受験に向かない」
といわれたそうです。

話の中で出てきただけなので、
その塾の先生がどういう意図で話されたのかはわかりません。
ただ、少なくとも私はそういうことを保護者に向かって話すことはありません。
自分の子どもが心配で仕方ない保護者に向かって言うべき言葉ではないと思います。

確かに小学生くらいだと、精神的に成熟していない子もいます。
大人びた子とそうでない子にかなり個人差があるのも事実です。
それが学習に影響があるのもわかります。

でも、それを「子どもが幼いから」で済ませてしまったら、指導者としては責任逃れだと思うのです。
そのお母さんは、「自分の子どもは受験に向かないのかもしれない」と心配しておられます。でも、私は何とか出来ることはないかと思います。

「今までに指導した子どもがこうだったから、この子はこうだ。」と過去の例を挙げて、決めつけてしまうのはやはりいけない。そう思います。
私自身もつい今までの教え子と今の教え子を比べてしまうときがあります。それに気付いて反省しきりです。似ていても全く同じ子はいないわけですから…。
今日お話しした生徒も、幼ない面を感じる部分はあります。
だからといって、それだけで「受験に向かない」というのはどうかと思うのです。

まだ、小学4年生。私もお母さんも、本人自身も、彼の本当の素晴らしい資質に気が付いていないだけかもしれない。
「いつ開花するかわからないのだから、絶えず栄養を与えていくべきです。」
ちょっと抽象的ですが、そう話しました。

勉強は大人になるまで続きます。「生涯学習」の時代ですから、一生続くといってもいいと思います。指導者として、ただ入試のことだけではなく、一生の中の小学生のこの時期にどういう勉強をしていくのがいいのか。そういうことを考えてあげるべきです。

そう考えると「幼い子は中学受験に向かない」という発言はやはり不適切だと思います。その子の学力が付くか付かないかという点だけ見れば、正しいのかもしれません。でも、私は中学受験の意味はそれだけではないと思うし、そう思いたいです。
合格するかしないかだけが、受験の価値だとしたら、
「合格しなかった子は勉強の意味が無かった。無駄だった。」
と言っているように思うのです。

一人一人の子どもにあった学習の方法があるし、それぞれに違ったゴールがあるのですから、できるだけその子達にあったやり方をみつけてあげたいです。
[PR]
by soul_doctor2005 | 2006-02-14 23:12 | 塾の仕事を通じて