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森 毅さん

森毅さんという方がおられます。
よく国語のテキストに文章が載っているのですが、
ちょっと困った方です。

というのも、
その文章の内容が「勉強なんか、嫌ならしなくていい。」とか
「自分の好きなことばかりやりなさい。」とか
「子供なのだから、遊ぶのが一番。」とか
そういう内容の文章なのです。

たいてい、揚げ足を取るように
「先生のいうことと全然違う。」などと言ってくる子がいます。
そりゃあ、こういう仕事をしていて、
「勉強するな。」とは立場上言えません。
「こう書いてあるんだから、先生宿題出さないで。」
などと真面目な子まで言いに来たりします。
本当に困ります。

森さん自身は有名な数学者ですから、
それなりに勉強もしたはずです。
遊んでばかりいて、数学者になれたわけではないはずなんですが…。
実際の所どうなんでしょう?

数学が大好きで、勉強という意識がないままに数学者になられたのでしょうか?
もしかしたらそうかもしれないですね。

私も学生時代得意だった科目では、一生懸命勉強したという記憶がありません。
社会科は、学年でもいつも上位でしたが、まともに授業を受けたことがありません。
逆に一生懸命頑張った科目ほど出来が悪かったような気もします。
数学なんて、一番時間と労力を使ったのに結局全くマスター出来ませんでした。


だから、森さんの意見には説得力があるんですよね。
好きなことをやる方が充実していて、結果も出ると思うし
「子供だから遊びが本分」と私も思うし、
「塾に来ている子は大変だよなあ」とつい感じます。
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by soul_doctor2005 | 2006-08-31 10:45 | 塾の仕事を通じて

自信過小、自信過剰

私の大学時代の話です。
当時私はよく友人とカラオケに行っていたのですが、
その時、適当に一つのグループの曲を片っ端から予約して、
順番に曲を知っていても知らなくてもとにかく歌う。
というようなゲームをやっていました。
歌えなかったら罰ゲームです。
近所の家にトイレを借りに行くとか
日本酒とか、ビールとか、ウイスキーとか、焼酎とかを混ぜ合わせた
何だかわからないような酒を一気で飲まなくてはいけないとか、
パンツ一丁で近所の店に買い物に行くとか
そんな罰ゲームでした。
今考えればアホみたいなことなのですが、
そんなことがなぜか流行っていたのです。

そういうこともあって、知らない曲でもそれなりに一生懸命に歌うのですが、
私が歌うと周りに人にクスクス(時にはゲラゲラと)笑われました。
音痴だということではなくて(音痴かもしれませんが)
「お前って、何で知ってる曲と知らない曲で歌い方がそんなに違うの?」
と言うのです。
確かによく知っている曲は自信があるので、朗々と力一杯歌います。
「歌えない」という心配がないので、楽しんで歌えるわけです。
知らない曲だと罰ゲームがあります。
気になるし、よく知らないから恐る恐る歌います。
当然自信なさげに歌ってしまうわけです。
確かにその落差は結構あったかなと思います。


このカラオケだけでなく、
他のことでも
よく知っていて慣れていることはどんどんやって、
慣れていないこと、自信がないことには及び腰になってしまうことが私にはあります。
ふだんの生活でも慣れていることばかりしているので、
家でやっていることも大体同じようなことで
出かけてから行く場所も大体決まっているという感じになってしまっています。
ふり返ってみるとちょっと淋しい感じもします。


子どもたちが勉強に取り組むときもそんな傾向が感じられます。
自分が得意な科目は自信満々で、
答合わせでも「当てろ、当てろ」としつこいくらいの子が
苦手な科目になると、
指名されないように、静かに目立たないようにしていたり…。


子どもたちだけじゃないですから
子供ばっかり責めてはいけないですが、
「自分の安全地帯を決めてその範囲からは出ない。」
そんな生活に私たちはなりつつあるように思います。
自信のあるものは「自信過剰」になって、
自信のないものには「自信過小」になる。
そんな感じでしょうか・
慣れないもの、苦手なものに挑戦するということが最近少ないようだと反省です。
世の中が便利だから、
つい「こんなこと出来なくても何とかなる。」と思ってしまうし、
実際何とかなってしまう。
それだけに新しいことを、「苦労してやることない」とつい思ってしまいます。

考えてみたら、最近ちゃんとした「外出」というのがとても少なくなっています。
出かけると言っても車で移動して、
ショッピングモールとか何かの施設とか
どこか屋内の建物に入っていくという「外出」が多いです。
純粋に外にいる時間は本当に少ない。
これって「外出」って言えないかもしれませんね。

物騒な世の中ですから、
出来るだけ安全に暮らしたい。
そのためには仕方ない
という気もするんですが…。
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by soul_doctor2005 | 2006-08-30 21:19 | 日常の出来事

日本語は後ろが大事

いつも国語を指導していて感じるのですが、
初めて教える子供でもある程度会話をしてみると、
その子が国語が得意か苦手か大体わかります。

雑談をしながら、いくつか問いかけをしていくと、
国語が得意な子は過不足なく答えてくれますが、
苦手な子は話が長くて要領を得なかったり、
聞いたこととは合わないことを答えたりします。

当然のことですが
国語は「文章を読んで質問に答える。」ことが中心ですから、
たとえ会話であっても、
きちんと質問に答えられる子は
文章でも同じ事が出来る(例外もありますが)といえると思います。

さて、最近子どもたちと会話していてふと気付きました。
国語が苦手な子と会話をしていると、
質問にきちんと答えられないということの他に
その大半の子どもには共通点があるのです。
それは「述語を省いて喋る。」ことや
「単語の形で喋る(つまり言葉を文の形で喋らない)」
と言うことです。

例えば、私が補習のために
「明日、早く来れる?」と聞くと
「え〜っと、それは……。」とか
「あしたはちょっと…。」というように答えたりします。
語尾を省くのです。
また、「無理!」とか「微妙。」とか単語で答える子もいます。

私はいつも国語の記述問題で
「日本語というのは後の部分になればなるほど、重要なのだ。」と言います。
それは文の最後にはたいてい述語が来るからです。

「私は勉強が得意だ。」と「私は勉強が得意ではない。」では
意味が正反対です。これは最後まで見ないとわからないことです。

ところが大人でもそうですが、日常会話というのは
語尾(述語)を省く傾向が強いのです。
それが国語の問題を答えていくときの障壁になっている感じがします。

大雑把な印象ですが、
「よく喋る子」には国語が得意な子が多いです。(もちろん例外もあります、)
これは、会話をしてきた経験が多いからではないかと思います。
会話の中で自分の考えを不手に伝えた経験や相手の考えを感じ取る経験を多く積んでいるということは、
国語の勉強に限らず非常に役に立つと思います。

保護者の方にもよくいうのですが、
国語は日常生活の中で鍛えることの出来る科目です。
そのことを出来るだけ多くの子どもたちに理解してもらえるように取り組んでいきたいと思います。
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by soul_doctor2005 | 2006-08-24 21:43 | 塾の仕事を通じて

サウンドマリーナ2006

昨日、広島の夏の野外音楽フェスサウンドマリーナ2006に妻と行ってきました。

広島港近郊の特設会場での開催で、付近が交通規制で一切交通機関が使えないため
ほとんどの人が広島港から徒歩で会場へ。
広島港近くに住む私たちも自宅から歩いて会場に行きましたが、かなり時間がかかりました。午後3時半開演ということで、1時間前に出発したのですが、結局開演ギリギリになってやっと会場入り出来ました。
昨日まで九州で猛威を振るっていた台風の影響で、
今回のイベントは開催が危ぶまれたのですが、
空は何とか持ちそうながら、
泥と水たまりで地面はぐちゃぐちゃ、
ぬかるんだ地面にシートを敷いて開演を待ちました。

6アーチストで計6時間。
さすがに昔のように若くは無いので
休み休み参加しましたが、とても素晴らしかったです。
野外であそこまできれいに音が聞こえてくるとは意外でした。

私は以前の記事でも紹介したコブクロ目当てで来たのですが、
他のアーチストも素晴らしかったです。
やっぱり「歌が上手い」というのは物凄い才能だなと感じました。
コブクロは勿論、ゴスペラーズも他のアーチストもとても良かったです。

でも一番衝撃だったのは「アンジェラ・アキ」という女性シンガーです。
全然名前を知らなかったので、全く期待していなかったのですが。
とにかく圧倒的な歌唱力と染みこんでくる歌声に
私の周りの人たちも私も
手拍子も歓声も忘れて、ただただ聞き入ってしまいました。
私の前に立っていた女性は感極まって涙ぐんでいました。
でも、気持ちは十分分かりました。私も自分一人ならそうだったかもしれません。
自分の歌とグランドピアノだけで、
約2万人の観客をここまで湧かせる人がいるんんだなあと感激しきりです。
一昨日の金曜日には札幌の「ライジングサン・フェスティバル」に出演したそうですが、きっと札幌でも沸き返ったでしょうね。本当に素晴らしいパフォーマンスでした。

CDは確かに音は良いけれど、
生の歌声にはCDには決して込めることの出来ないものがあるんだと実感しました。
やっぱりライブは良いです。

来年もあるそうなので、
「来年も絶対行こう。」と思っている次第です。


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by soul_doctor2005 | 2006-08-20 23:04 | 日常の出来事

首都圏の大停電について

テレビなどでさんざんいわれていますが
ほとんどの意見に同感です。

日本はまだ多くの諸外国に比べ、
まだライフラインを維持し機能させるシステムは
割と上手くいっているのでしょう。
この停電が(わずか…とあえて言います。)
3時間ほどでほとんど復旧したのはその現れだと思います。

むしろ気になるのは、その電力に依存している私たちの方です。
3時間電気が使えないと社会生活が成り立たないような社会になっているわけですよね。
私は自宅にいますが、
今電気をじゃんじゃん使っています。
そもそも、このブログ自体がパソコンが動かないと更新できません。

私もかなり電気に依存して暮らしています。
広島で起こったらかなり困ってしまいます。
できるだけ電気に頼らない生活をしないといけないんですが、
なかなか難しいですね。
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by soul_doctor2005 | 2006-08-14 18:55 | ニュースについて

クルマを好きだということ

私の妻の妹が結婚して熊本に住んでいます。
その妻の妹一家が今広島に来ているので
妻の実家で日曜の夜、バーベキューをしました。

酒も結構入っていてその分いつもは話さないような話もしたのですが、
話題がクルマの話になった時に、
義父から「あんた(私のことを義父はこう呼びます。)は”クルマ好き”とは言えんな。」
と言われました。
義父は新卒から定年までずっとマツダ一筋のクルマ人生を歩んできた人で、
「そりゃあそういう人から見れば、”クルマ好き”じゃないな」と思います。
大体私はクルマは乗るだけでロクに手入れもしないし、
泥だらけのクルマを平気で運転していたりします。
だから客観的に見ても、”クルマ好き”ではないと思います。

でも自分では結構”クルマ好き”だと思っているんです。
そこでよく考えてみたら、
義父の言う”クルマ好き”と私が思う”クルマ好き”というのは違うんだな。
ということ気がつきました。

義父の言う”クルマ好き”というのは自動車そのものが好きな人で
私が”クルマ好き”だというのは、
「クルマを使って出来ること」が好きなのだと言うことなのです。

海に行ったり、ドライブをしたり、買い物に行ったり
仕事が遅くなった時は車で寝たり(昔の話ですが)、
一人で大音量で音楽を聴いたり、
妻や子供たち、友人と旅行にいったり、
私はそういうことが好きなのです。
だから、クルマを買う時も、クルマそのものの魅力よりも
「そのクルマで何が出来るのか」を優先して考えます。

初めて自分のクルマを買った時には嬉しくて仕方なくて
仕事の帰りにわざと遠回りして帰ったり、
買い物に行くのにわざわざ遠くの店に買いに行ったり、
用も無いのにカー用品の店をうろうろしたり、
地図を見て、「ここに行こう」とあれこれ考えたりしたものです。
そうやって積み重ねた色々な思い出があるので、
そのクルマに愛着があるし、
動かなくなって、乗り換える時は寂しい気がしたものです。
そういう意味では、私みたいな人間も”クルマ好き”と言ってもいいんじゃないかな?
と思います。

その割にクルマの手入れをしないので、そこがいけないんですが…。

先週愛車を車検に出したら、古いなりにきれいに洗車されて戻ってきました。
今後は反省して、きれいな状態を保っていこうと思っています。

そういえば、妻が私のクルマで実家に帰ると
大抵義父が私のクルマをきれいに洗ってくれます。
多分、私があまりに手入れしていないので、
本当の”クルマ好き”である義父には見るに堪えないのでしょう。
そういう義父に感謝しつつ、
今後は義父の手を患わせないようにこまめに手入れしていきたいと思います。
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by soul_doctor2005 | 2006-08-08 20:55 | 日常の出来事