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断言

私は、子どもの頃から「断言」するということが苦手でした。
どちらかというと内向的な人間で、(今はそうでもないような気もしますが…)
何となく何かを言う前に考えこんでしまうところがあったのです。
自分自身があまり人に強く出ることが出来ない人間だったので、
何を話していても人に対して「断言」出来なくなってしまうのです。

塾の仕事をし始めてからもそうで、そのことが原因で
新人の頃は授業でも自信なさげに見えたようです、
上司から「先生が自信を持って、これはこうだと言えないと生徒は安心して学ぶことができない。」と言われ、自分なりに努力して、今ではかなり自信をもって授業をしているつもりです。

当時、上司に言われたことは確かにそのとおりで、
私は新人のころ、自分にも自分の指導にも自身が無くて、
「どこかに逃げ道を造っておきたい」という気持ちが、あったように思います。
「〜かもしれない」とか「〜と思う」とかいっておけば、あとで「言い切っていない」という言い訳が出来る訳です。(相手が納得するかどうかは別として…)


ただ、そうはいっても世の中には
自信を持って「こうだ」とは言い切れないものも多くあります。
仕事をするようになると。仕事のいろいろな場面で
「断言」出来ないものを「断言」することを求められる場面が出てくるのです。
私のような、しがない塾講師でもそうですから
一般の会社員の方はもっとのはずです。

私の場合、一番困ってしまうのは
志望校の相談です。
例えば小学4年生の子どもの保護者に
「○○中学校に合格できますか?」などと相談される場合があるのですが、
正直困ってしまいます。ある程度「可能性」という話なら出来るのですが、
まだ、本格的に受験学習に入っていない段階で、合否を断言するようなことは出来ないのです。受験直前に「合格確実」と感じる子どもでも、そうでない場合があるのですから…。

保護者の皆様からすれば、
専門の人間に「大丈夫」と言ってもらって
安心したいという気持ちをお持ちでしょうし、
子を持つ親として私にもその気持ちはよくわかります。
ただ、やはり「出来ないものは、できない」のです。

申し訳ないのですがそういう場合。
正直にある程度の話だけをさせていただくことになってしまいます。
「断言」してしまった方が、保護者の皆様は安心されるというのはわかっていますが
「嘘をつくことになってしまうのではないか」という思うが拭いきれないのです。
「断言」するというのは、本当に度胸が必要です。


「言葉尻を捕まえて」という言葉がありますが、
言葉足らずで、つい本意と違うことを話して
いくら後から言い訳をしても
「最初の発言が本心に違いない」と言われてしまう風潮がありますよね。
政治家を弁護する訳じゃないのですが、
先日の柳沢大臣の発言などは、問題発言ではあるけれど
彼を非難している人たちは、彼の発言を拡大解釈し過ぎだと思うのです。

そういう世の中だからか
子どもたちも、「言質」をとられることに敏感になっているのを感じますし、
私たちからも何とか「言質」を引き出そうとして来ます。
そうすると、やはり私たちもそういうことに敏感にならざるを得ないのです。

なんだかそういうのは嫌ですね。
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by soul_doctor2005 | 2007-02-19 11:36 | 塾の仕事を通じて

「知ること」と「感じること」

今日たまたま以前書いた。「特効薬」という記事を読み返していたのですが、読みながらふと昔のことを思い出しました。

もう数年以上前、中3で公民の授業のときです。
その日は日本国憲法の単元で、その中で「自衛隊」についての説明していました。
「自衛隊が海外に派遣されることには賛否両論ある。」そんな話をしていて、
その中で、ある生徒が「自衛隊の人は、自衛隊なんだから死んでもしょうがないじゃないか!」ということをいったのです。その子の頭の中では「軍隊で人が死ぬのは当たり前。」という意識があったのかもしれません。事実として軍隊というのは戦争をするあるいは、戦争に備えるものですから、死とは隣り合わせであるとおもいます。でも、「死ぬのは当たり前」ではないのです。いうまでもないことですが…。

今このときのことを思い出して、いかに自分が子どもたちに知識だけを教えているのかということを感じます。知識を教えると子どもたちは、「わかっている」と思ってしまう。
でも実感として「感じている」というのとは違うのです。それは私自身も大人になってわかったことです。

ある作家(幸田文さんだったと思います。)が、学校から依頼されて子どもたちに戦争体験を語ることになったそうです。それで、家に子どもたちが訪ねてきて、あれこれ質問される。
「戦争は大変でしたか?」と聞かれ。「大変だった」と応えるとノートに「大変だった」と書き留めて、すぐに次の質問へ、それもノートに書き留めてまた次の質問へ、そういう感じで、いくつか聞くと「用は済んだ」とばかりに帰っていくのだそうです。
言葉にできないような心の訴えこそが子どもたちの本当に理解すべきところなのですが、それは伝わらない。今の学校教育には、「器は作るが、中身をいれない」ようなところがあるように感じます。

踏切に入って命を絶とうとした女性を身を挺して助けた警察官の方が、今日亡くなりました。
たとえ警察官であろうと、それが職務であろうと「命がけ」というのは普通簡単にできるものではありません。それでも、心ない人は「警官なのだから、当たり前。」と言うのでしょう。
子どもたちには、こういう出来事から「本当に大切なものは、形あるものとは限らない」ということを是非学んでほしいと思います。そうして、「○○だから当たり前。」という大人にはなってほしくないと願います。

私自身もそうあるべきですし、せめて自分のまわりの子どもたちにだけでも、そう伝えていきたいと思います。
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by soul_doctor2005 | 2007-02-13 00:32 | 塾の仕事を通じて

習慣づけ

今日火曜日はとっても暇です。
というのも、これまであった6年生の授業がなくなったからです。
今月末の新年度開講までは、火曜日と木曜日は授業のない日が続き、
しばらくは新年度準備と生徒募集の受付だけになります。

もともと私は授業が大好きなので、かなり寂しいです。
その分他の学年の授業で気合いを入れるしかないですね。

今日の夕方、受験の終わった6年生が遊びにきました。
男子と女子がひとリずつなのですが、
やっぱり受験が終わって手持ち無沙汰なのだそうです。
「普段ずっと塾に来ていたから、塾に来ないと何だか変な感じがする。」
ということで塾に来てみたそうです。

先日訪ねてきた他の子どもも、
「何か勉強してないと違和感があって、気がついたらテキストを開いていた。」
と言っていました。
勉強していないと不自然だと感じるのはどうかと思うのですが、
やはり習慣になっているというのは凄いですね。

先日テレビ番組で、森脇健児さん(懐かしいです)が、
「自分は今一月に250㎞走っている。」といっていました。
「毎日走らないと気持ち悪い。だから、雪じゃない限り、毎日走る。雨でも走る。」
ともいっていました。
習慣というのはそういうものなのでしょうか?

私はどうも怠ける習慣ばかりついていていけません。
怠けていないと気持ち悪いです。
もうどうしようもないですね。
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by soul_doctor2005 | 2007-02-06 22:11 | 塾の仕事を通じて

親の痛み

相変わらず中学受験結果についての話題です。

ほぼ全ての子どもの結果がでました。
最終的に見てみると、「やはり今年の子供たちは力があったんだな」
という印象です。

この時期になると、ひとしきり受験での結果を受け止めた(良くも悪くもですが…)
保護者の皆様が挨拶に来てくださいます。
毎年のことですが、この時期に保護者の皆様とお話をさせていただくと
中学受験というものが、子供たちだけでなく保護者の皆様にとっても大変な難関であったことを感じます。子供たちの体調を気遣ったり、気持ちの変化に気を配ったり、それだけでも大変なのですが、「心配で眠れない。」とか「食欲がなくなった」などというお母様もおられました。

これは私も同じ気持ちなのですが、多くの保護者の方は
「できることなら自分が代わってやりたい。」と一度ならず感じるそうです。
自分が頑張りさえすれば何とかなるというのなら、まだ気が楽なのかもしれません。
私たちもそうですが、子どもたちの代わりに受験する訳にはいきません。
子どもたちが自分で頑張るしかない。
それを見守っているだけというのはなかなか苦しいものです。

私の子どもはまだ小さいので
私自身は、そういう親としての苦しみというのを感じたことがあまりありません。
最近はそれを「指導者として足りないもの」だと感じるようになりました。
「親の痛み」を知ることで、指導者としてもさらに成長し、
さらに今まで以上のモチベーションをもって指導に取り組めるようになるのではないかと感じるのです。

子どもたちをしっかり指導していくだけでなく、親の痛みを知り、保護者の皆様と一緒に少しでもそれを背負えるような指導者になっていきたいと思います。
そう考えるとまだまだ私は未熟だなと反省します。
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by soul_doctor2005 | 2007-02-05 01:21 | 塾の仕事を通じて