「知ること」と「感じること」

今日たまたま以前書いた。「特効薬」という記事を読み返していたのですが、読みながらふと昔のことを思い出しました。

もう数年以上前、中3で公民の授業のときです。
その日は日本国憲法の単元で、その中で「自衛隊」についての説明していました。
「自衛隊が海外に派遣されることには賛否両論ある。」そんな話をしていて、
その中で、ある生徒が「自衛隊の人は、自衛隊なんだから死んでもしょうがないじゃないか!」ということをいったのです。その子の頭の中では「軍隊で人が死ぬのは当たり前。」という意識があったのかもしれません。事実として軍隊というのは戦争をするあるいは、戦争に備えるものですから、死とは隣り合わせであるとおもいます。でも、「死ぬのは当たり前」ではないのです。いうまでもないことですが…。

今このときのことを思い出して、いかに自分が子どもたちに知識だけを教えているのかということを感じます。知識を教えると子どもたちは、「わかっている」と思ってしまう。
でも実感として「感じている」というのとは違うのです。それは私自身も大人になってわかったことです。

ある作家(幸田文さんだったと思います。)が、学校から依頼されて子どもたちに戦争体験を語ることになったそうです。それで、家に子どもたちが訪ねてきて、あれこれ質問される。
「戦争は大変でしたか?」と聞かれ。「大変だった」と応えるとノートに「大変だった」と書き留めて、すぐに次の質問へ、それもノートに書き留めてまた次の質問へ、そういう感じで、いくつか聞くと「用は済んだ」とばかりに帰っていくのだそうです。
言葉にできないような心の訴えこそが子どもたちの本当に理解すべきところなのですが、それは伝わらない。今の学校教育には、「器は作るが、中身をいれない」ようなところがあるように感じます。

踏切に入って命を絶とうとした女性を身を挺して助けた警察官の方が、今日亡くなりました。
たとえ警察官であろうと、それが職務であろうと「命がけ」というのは普通簡単にできるものではありません。それでも、心ない人は「警官なのだから、当たり前。」と言うのでしょう。
子どもたちには、こういう出来事から「本当に大切なものは、形あるものとは限らない」ということを是非学んでほしいと思います。そうして、「○○だから当たり前。」という大人にはなってほしくないと願います。

私自身もそうあるべきですし、せめて自分のまわりの子どもたちにだけでも、そう伝えていきたいと思います。
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# by soul_doctor2005 | 2007-02-13 00:32 | 塾の仕事を通じて

習慣づけ

今日火曜日はとっても暇です。
というのも、これまであった6年生の授業がなくなったからです。
今月末の新年度開講までは、火曜日と木曜日は授業のない日が続き、
しばらくは新年度準備と生徒募集の受付だけになります。

もともと私は授業が大好きなので、かなり寂しいです。
その分他の学年の授業で気合いを入れるしかないですね。

今日の夕方、受験の終わった6年生が遊びにきました。
男子と女子がひとリずつなのですが、
やっぱり受験が終わって手持ち無沙汰なのだそうです。
「普段ずっと塾に来ていたから、塾に来ないと何だか変な感じがする。」
ということで塾に来てみたそうです。

先日訪ねてきた他の子どもも、
「何か勉強してないと違和感があって、気がついたらテキストを開いていた。」
と言っていました。
勉強していないと不自然だと感じるのはどうかと思うのですが、
やはり習慣になっているというのは凄いですね。

先日テレビ番組で、森脇健児さん(懐かしいです)が、
「自分は今一月に250㎞走っている。」といっていました。
「毎日走らないと気持ち悪い。だから、雪じゃない限り、毎日走る。雨でも走る。」
ともいっていました。
習慣というのはそういうものなのでしょうか?

私はどうも怠ける習慣ばかりついていていけません。
怠けていないと気持ち悪いです。
もうどうしようもないですね。
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# by soul_doctor2005 | 2007-02-06 22:11 | 塾の仕事を通じて

親の痛み

相変わらず中学受験結果についての話題です。

ほぼ全ての子どもの結果がでました。
最終的に見てみると、「やはり今年の子供たちは力があったんだな」
という印象です。

この時期になると、ひとしきり受験での結果を受け止めた(良くも悪くもですが…)
保護者の皆様が挨拶に来てくださいます。
毎年のことですが、この時期に保護者の皆様とお話をさせていただくと
中学受験というものが、子供たちだけでなく保護者の皆様にとっても大変な難関であったことを感じます。子供たちの体調を気遣ったり、気持ちの変化に気を配ったり、それだけでも大変なのですが、「心配で眠れない。」とか「食欲がなくなった」などというお母様もおられました。

これは私も同じ気持ちなのですが、多くの保護者の方は
「できることなら自分が代わってやりたい。」と一度ならず感じるそうです。
自分が頑張りさえすれば何とかなるというのなら、まだ気が楽なのかもしれません。
私たちもそうですが、子どもたちの代わりに受験する訳にはいきません。
子どもたちが自分で頑張るしかない。
それを見守っているだけというのはなかなか苦しいものです。

私の子どもはまだ小さいので
私自身は、そういう親としての苦しみというのを感じたことがあまりありません。
最近はそれを「指導者として足りないもの」だと感じるようになりました。
「親の痛み」を知ることで、指導者としてもさらに成長し、
さらに今まで以上のモチベーションをもって指導に取り組めるようになるのではないかと感じるのです。

子どもたちをしっかり指導していくだけでなく、親の痛みを知り、保護者の皆様と一緒に少しでもそれを背負えるような指導者になっていきたいと思います。
そう考えるとまだまだ私は未熟だなと反省します。
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# by soul_doctor2005 | 2007-02-05 01:21 | 塾の仕事を通じて

合格発表

昨日で、広島市近郊の入試もほぼ(多少残っていますが)終わりました。

今日からは打って変わって、合格発表です。
私たちの塾では、入試結果をこちらから聞くことはあまりしません。
もちろん、ものすごく知りたいのですが、
連絡のない子については、大抵は少し時間を置いてから聞いてみるようにしています。

今年の入試結果ですが、感想として「だんだん難しくなっている」と感じます。
今年は例年以上に力を持っている子が多く、期待していたのですが、
例年なら合格確実の子が、不合格であったり、補欠合格であったりしています。
おそらく、広大附属中の抽選がなくなった影響が、各私立中で出ていたのではないかと思います。とにかくどこの学校を見ても、これまでより合格者数が少ないのです。
「厳しい」と感じます。

全国的な傾向として、「中学入試」が加熱し、受験者が増えているという報道がありますが、
実際にそれは感じます。

私たちの子供の頃は、「クラスで一人」くらい受験する程度だったと思うのですが、
最近では、多いところで「クラスの半分」が受験するという所もあります。
すでに、中学受験が限られた一部の子どもだけのものではなくなっているのは事実です。

その分、受験で合格していくのが難しくなっているのではないでしょうか?

少子化も進んできて、各学校が限られた「成績のいい子」を奪い合っている現状を感じます。
そのために、国私立中学が要求する内容を必死で勉強する子と公立小の簡単になった今の教科書だけで勉強している子の格差が生まれてきています。

受験をする子どものなかでも格差が出てきています。
国私立中学の中でも、難関校とそうでない学校に大きな差が生まれつつあるように感じます。
今まではそこまで感じなかったのですが、
その学校もが生き残るために、難関校を目指していく、そのためにただ闇雲に成績のいい生徒を求める。そんな印象です。学校の方が、塾以上に学力偏重なのです。
学校というのはただ勉強だけをするところではないはずです。
最近の国私立中学の説明会では「学力」以外の話をほとんど聞きません。
「公教育」を担っている学校がそれでいいのでしょうか?

私は子供たちのために、努力してきたつもりですが、
「本当にそうなのかな?」と疑問も感じてきます。
私自身が、そういう「受験の世界」に子供たちを追いやっているのではないかとも感じるのです。そう思うのはいい気分ではないですが…。
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# by soul_doctor2005 | 2007-01-30 20:50 | 塾の仕事を通じて

受験開始

今日が広島地区の中学受験の開始でした。
私も同僚と早朝激励に某共学校にいってきました。
昨年はかなり緊張した様子の見られる子がいたのですが
今年は一人の子を除くと緊張の様子もなく
付き添いのお母さんの方が
「子供に緊張のかけらもないので、かえって心配です。」
と言われていました。
現代っ子と言うことなんでしょうか?

問題の方は、昨年通りという感じです。
子供たちが今までやってきた問題にくらべれば問題ないと感じています。
とはいえ、問題を見ていると子供たちの苦戦している顔が浮かんできて
つい「大丈夫かなあ」と思ってしまいます。

今年はこの学校より難しい学校を受ける子が何人もいます。
ここでよい弾みを付けて、頑張ってほしいと思います。

入試の期間もたった一週間で終わりです。
3年間勉強してこの一週間で決まる訳ですから厳しいですよね。

そして、入試が終わるとこの学年も終わりとなります。
ずっと教えてきた子供たちだけに、それが寂しいですね。

特に今年の子供たちは、私が今の職場に来て、
受験の最初から教えてきた子供たちなので尚更です。

塾長も冗談で「もう一年6年生をやらせるか?」と言いますが
冗談じゃなくそうなってくれたらなあとも感じます。

ともあれ、みんなが良い結果が出せるように願うばかりです。
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# by soul_doctor2005 | 2007-01-24 22:55 | 塾の仕事を通じて

順道制勝

広島地区の中学入試は、今年は1月24日から始まります。
これは地域の私立校の申し合わせで決まっていて
そのため広島市近郊で中学受験をする子供たちのほとんどはこの日が初日となります。

今日は21日。後三日で本番です。
今日はおそらく6年生にとっては最後となる塾内テストがありました。
1月に入ってからは、「塾のテストの結果については気にするな。」
と私は子供たちに言い続けてきたのですが、
今回だけは私の方が「なんとか最後にいい結果を出してほしい。」という思いでした。

テストの結果は子供によって良かったり悪かったりそれぞれですが、
何とかみんなそれぞれの志望校に手が届くところまで来たのではないかと少し安心しています。


中でも、努力の方向という記事で以前に書いた彼女が今回はとても頑張ってくれました。
彼女はご両親もちょっと心配なさったのか、受験の回数を増やしたいということで
広島の某女子校の山口県内での入試を前もって受験して合格したのです。
それで気持ちが楽になったのか、この最後のテストで自己最高点を取ってくれました。
本人もそのことはわかっていたらしくて、
私がそのことを話すと「家でも”最後だから一番いい結果を出そう”と家族で話をしていた。」と
嬉しそうに話してくれました。

子供たちのそれぞれにいろいろな思いを持って受験を迎えます。
もう私たちが出来るのは「応援」しかありませんが、
出来るだけのことはやったという思っています。
在り来たりの言葉ですが、一生懸命やれば結果はついてくるはず。

高校時代に、部活の顧問の先生に
「順道制勝」と言葉を教わりました。
”正しい道を着実に歩んできたものが、最後には勝利する。”
そんな意味だったはずです。

子供たちも、みんな「順道制勝」の言葉通りに
最後に勝利(合格)を手にしてほしいと思っています。
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# by soul_doctor2005 | 2007-01-21 21:48 | 塾の仕事を通じて

受験本番

明けましておめでとうございます。
といっても、もう1月も9日ですが
だんだんと更新が滞りがちになっていけませんね。

忙しかった冬期講習会も昨日で終了です。
これから受験本番。
6年生のなかには
広島県外の学校を受験する子供もいて
そういう子はもう受験が始まっています。

今まではずっと授業で比較的厳しいことをいってきたのですが
そろそろ、逆に子どもたちの緊張をほぐす時期になってきました。
もうほぼやるだけのことはやったという気持ちです。
(数人、まだ心配な子もいますが…。)

ここまでくると私たちのやるべきことはあまりありません。
後はしっかり体調管理をして、丁寧に復習をして、出来るだけ緊張をほぐして、
実力を十分に発揮してもらうだけです。

毎年の事ながら、この時期が一番落ち着きません。
一月後の今頃にはもう大体の学校の試験結果が出ていると思います。
何とか良い結果になればと願うばかりです。

一生懸命頑張ってきた子供ほど、
背負っている気持ちや重圧が重いはす。
出来ることなら、代わってやりたい。
毎年そう思います。
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# by soul_doctor2005 | 2007-01-09 23:08 | 塾の仕事を通じて

会話のキャッチボール

今日は某男子中学を受験する生徒のために、「CTテスト」の対策をしました。
「CTテスト」というのは「情報受容能力テスト」の略だそうですが、
要するに放送の指示に合わせて答えていく形式のテストです。

毎年思うのですが、
これはペーパーテストではわからないことがわかるいいテストだと感じます。
というのも、普段の授業で集中力がきれてしまうような子供がこれでよくわかるのです。
説明をきちんと聞いていない子、同じことを何度も聞き返すような子は
やっぱりこのテストでは低い得点になってしまいます。

会話のキャチボールとよく言いますが
どうもこのテストで得点できない子には
「一方的に自分だけが話そうとする。」子が多いように感じます。
人の話を聞くのが苦手だということなのかもしれませんね。

出題する学校の方も、
授業できちんと説明を聞いて理解できるかということを調べたいのでしょう。
やはり、きちんと説明を聞けないというのは実力を伸ばす上で大きな障害になります。
そう考えると、こういうテストを行うことや、きちんと人の話を聞く練習というのは大切ですよね。
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# by soul_doctor2005 | 2006-12-16 22:26 | 塾の仕事を通じて

実力を出すということ

六年生のこどもたちも受験まであと一ヶ月をすぎ
かなり緊張感も高くなってきました。
子供の中には緊張して不安になったり
受験をやめたくなったりという思いを感じる子もいるようです。
子供にもよるのですが、今の時期は発破をかけるよりも
励まして自信を持たせてやった方がいいのかもしれません。

昨日の授業の最後に子供たちに言ったのですが
今の時期には「実力を伸ばす」勉強はあまり効果がないように思います。
今の時期に必要なのは「持っている実力を出し切ること」ではないでしょうか。
そういうこともあって昨日の国語の時間では、比較的簡単な問題を大量に用意して
問題を解いていく演習をしました。
簡単な問題ですから、問題がわからなくて間違えるということは少ないはずです。
間違えるとしたら、問題の見落としや勘違い、記述ミスなど
いわゆる「うっかりミス」のはずです。
ですから、それをなくしていくことで、
入試本番で「出来たはず」の問題をなくしていこうというと考えたのです。

こういう勉強の仕方は、純粋な国語教育の趣旨とは違うかもしれません。
そう思うと多少の心の迷いもあるのですが
それでも今の子供たちに必要なことだとも思っています。
子供たちも頑張っています。
私たちも自分のやるべきことをしっかりやっていくだけです。
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# by soul_doctor2005 | 2006-12-15 13:25 | 塾の仕事を通じて

過熱しすぎ

結局この11月は二回しか更新できませんでした。
「時間がない」というより、
気持ちの余裕がなかったと言う感じです。
子供たちへの指導もそうですし、
生徒の募集などでちょっと気持ちが疲れています。
何とか気分一新といきたいものです。

昨日のことですが、
6年生の授業で入試問題の演習をしていました。
使ったのは某近畿地方の中学の入試問題です。
全体的に基本ばかりの内容で難易度も高くありません。
私たちの塾の子供たちが受験する学校と比べると簡単な問題です。

子供たちに問題を解いてもらっている間に
この問題を見返していて、ふと
「これがみんなの学校の受験問題だったらいいのになあ…。」
とつぶやいたのですが、
それを子供たちが聞いていたらしく
異口同音にみんな「そうだよねえ」と賛成してくれました。
とはいえ、実際にそんないい話にはなりっこないので
「まあそうはいっても仕方ない。しっかり頑張ろう。」と話しました。

でも、その後の休憩時間にもう一度問題を見ていて
「小6の子どもならこれが出来ていたら十分じゃないか?」
という思いが込み上げてきました。
やっぱり中学受験って、
子供たちに必要以上の知識を要求する厳しいものだということを再認識しました。

今朝のワイドショーで、
少子化が原因で大学が廃校になってきているというニュースを見ました。
学校の方も生き残りに必死なのでしょう。
だから学校のイメージの為に必要以上に
ハイレベルなことを要求する部分があると思います。
人気のある学校に入ろうとすると
どうしても子どもに過酷なことを要求せざるを得ない状態です。

個人的な思いとしては
ある程度の力があることがわかれば
後は抽選などの方法をとればいいのではないかと感じるのです。
そうでないと際限なく問題が高度になっていくばかりです。
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# by soul_doctor2005 | 2006-12-08 10:12 | 塾の仕事を通じて

定着させること

最近忙しい日々が続いています。
「何でこんなにいつも一杯一杯なのか?」
とボヤク始末。だんだん自分の仕事の能率が悪くなっているのかも…。

さて、6年生の中学受験は佳境に入ってきました。
もうすでに、全範囲を終了し、全体の復習に入っています。

そこで感じるのが、やはりまだ「定着していないな」
ということです。
9月からずっと毎週日曜のテストで全範囲のテストをしているのですが
その中には同じような問題が何度も出てきています。
でも大半の子供たちは、毎回初めて出てくるような問題のように感じるようです。
私が「この問題は第○回に同じような問題があったよね。」というと
「先生、何でそんなことまで覚えているの?」とびっくりされます。
毎回のテストはしっかり復習するようにと口が酸っぱくなるくらい言うのですが
やはり復習が足りないなと感じます。

きちんと習ったことを定着できるかどうかには
本人の意識がかなり影響があると思います。
要するに「身に付けよう」という気持ちがどれだけ強いかということです。
私が教えている子供たちには、教えて理解できないという子はいません。
理解したことを使えるか、あるいは覚えているかの問題なのです。

私たちの塾はビルの3階にあって、4階より上はマンションになっているのですが、
その上の階に住んでいる子が私たちの塾に通ってきています。
5年生なのですが、近いと言うことも合って授業の無い日でも質問に来ます。
彼は、日曜日のテストで100点が取れなくて、悔しくて泣いたことがあるそうです。
(お母さんから聞きました。)
実際とても良くできる子ですが、
出来ない問題があって悔し泣き出来るような子は
間違えた問題は決して忘れないはず。

この話を6年生にもしました。
6年生に「5年生を見習え」というのもどうかとは思ったのですが
「彼のように問題に取り組めば、どんどん力がつくはずだ。」
と話すとそれからは、より一生懸命頑張ってくれたように見えました。
この調子で、日々頑張って欲しいものです。

ほとんどの生徒は、来年1月24日が最初の受験日になります。
あと70日。もう「わずか」と言っても良いくらいの期間しかありません。
その中でもやれる限りのことをやっていきたいと思います。
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# by soul_doctor2005 | 2006-11-15 10:08 | 塾の仕事を通じて

責任転嫁

私はほぼ毎日仕事帰りに書店(または古本屋)に行くのが日課なのですが、
先日、「百ます計算」で有名な陰山英男先生の本を読む機会がありました。
(といっても、冒頭部分を立ち読みしただけなのですが、)
さすがに現場で実績を上げてこられただけあっていいことがかかれています。

私が読んだ部分だけなので恐縮ですが
小学校低学年の子どもは、「個人差」が大きく、
同じ内容を一律に教えても出来ない子もいる。
それは「今は出来ない」だけで
「学力がない」ということではないのだが、
そのままの状態で理解できないまま上の学年に上がってしまうことで
本当に「学力がない」状態になってしまう。
学習内容自体はあとからでも取り返せるが、
それ以上に本人が「勉強が出来ない(とされた)」
期間ですっかりやる気を無くしてしまっていることが
子どもの力を伸ばす一番の障壁になっている。
そんな内容でした。(覚えている限りですが…)

まさにおっしゃる通り。そう思いました。
陰山先生は、尾道市の土堂小学校の校長として素晴らしい成果を挙げられましたが
なるほどなと感じられます。

今、学校現場では問題山積です。
いじめ問題や履修不足問題などでいろいろ問題になっております。
先生方には陰山先生を是非見習って欲しいものです。

勿論、大半の現場の先生方は全力で一生懸命努力なさっていると思いますが、
先日ちょっと私からすると信じられないような話を耳にしました。

まず、私の勤務する塾の生徒の保護者の方から聞いた話ですが
その生徒の通う小学校の教頭先生が、保護者を前にして
「塾に行っている生徒とそうでない生徒の学力の差があり過ぎる。
今、塾に行っていない方は状況が許すのなら塾に行って欲しい。」
という趣旨の発言をしたそうなのです。
さらに、「今うちに来ているこどもたちの学力が伸びないのは
広島市が私たちが希望していた教科書を採択しなかったからだ。」
とも発言しているそうなのです。
伝聞なので、はっきりとしたニュアンスなどが分からないのですが
もしこの文面通りの発言をしたのなら責任放棄も甚だしいものです。
「自分たちの学校では、学力は伸ばせない」
と自らさじを投げてしまうわけですから…。

また、この週末に開かれた某国立中学校の入学説明会でこんな発言があったそうです。
「私たちの学校の生徒の学力が低いと言われているがそれは家庭の責任です。」
これは恐らくこの学校の附属の小学校の生徒のことだと思いますが、
この附属の小学校には、
いわゆる「お受験」をして入学をしている子供たちが集まっているのです。
少なくとも入学時に学力が低いということはないですし、
保護者の教育に対する熱意が(公立小に比べて)低いとも思えません。

この付属小の子どもは数人私たちの塾にも来ています。
その中で
今年の春、付属小に通い付属中への内部進学を希望していた子どもが不合格になりました。
例年通りであれば、彼女の学力ならば問題なく内部進学出来たはずですが、
学校が予告なく合格ラインを挙げた為に不合格になったのです。
彼女だけでなく、内部進学を希望していた子どもの大半が不合格になったそうです。
その理由なのですが、
「付属小から付属中に上がってくる生徒の学力が低過ぎるから。(校長の発言)」
というものだそうです。(これは彼女のお母さんから聞きました。)

無責任な話です。
6年間も指導しているのです。
それでもし本当に学力が低いのなら、
それは学校の責任のはず。

6年間も教えてきた子供たちを、
「学力が低いから」と放り出す学校の神経が理解できません。
この学校は小学校でありながら、
高学年になるとほとんど中学に近い内容を教え、
社会科では所々高校範囲の内容まで取り入れていることもあるのです。
そんなことまでしておいて、「学力が低い」と簡単に言えるなんて本当におかしい。
本当に理解できません。自分たちの責任だという意識がないのですから。
本当にそう思うのなら、もっと基礎的な内容をすればいいのですから…。

私も端くれながら、子供たちの学習指導を行っている者として
こういう人たちがいることに怒りを覚えます。
失礼な表現かもしれませんが
今回紹介した学校の先生達は、
恐らく勉強の出来る子ども達にだけ授業がしたいのでしょう。
そしてその子達が、自分の力で学力を伸ばしているのを
「指導力がある」と錯覚しているのではないでしょうか? 
授業はできるけど指導はできない。
本当の意味での指導力は無いのです。そう思わざるを得ません。

私は日ごろから「学校の先生より下手だったらこの仕事を辞める。」と思っています。
実際にそう発言したこともあります。
これは自慢をしたいと言うことではなく責任なのです。
自分が預かった子供たちに学校以上の学習指導が出来なかったら塾の意味がない。
これは塾の指導者としての最低限の責任です。

以前、同じ教材で同じ単元を指導しても
毎年同じ指導内容にはならないと記事に書いたことがあります。
子どもが違うからそれが当然です。
自分が工夫して「今の子どもに合うものを」と考えて内容を変えるのです。
子どもの成績の善し悪しは自分の責任だと思っていますし、
自分が頑張れば子どもの力は伸びると思っています。
その責任は絶対に放棄しません。

塾の経営からすると
学校の先生の指導力が低くて、
子供たちがこぞって塾に来てくれれば万万歳ですが、
単純にそう喜べない心境です。

「学校の先生ももっと頑張ってくれよ!」と思うと同時に
「自分の娘が行く学校がこんな所だったらどうしよう。」
とも感じます。
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# by soul_doctor2005 | 2006-11-02 00:46 | 塾の仕事を通じて

明るい兆し

最近の記事は、どうも前向きでない話が多かったのですが
今回少し前向きな話を

やっとというかそろそろ
子供たちの中に「目的意識」が芽生えてきたように感じてきました。
といっても、まだ一部の子どもですが…。

今まではただ「わからない、できない。」というだけだったのが
だんだんと「自分は○○が苦手だからこういうことをやりたい。」などと
かなり具体的にいってきてくれた生徒がいたのが嬉しかったです。

勉強は自分の力をつける為にやる。
これは当たり前だと思うのですが、
やっと自分で考えて何とかしていこうという気持ちの子が出てきた。
いい雰囲気になってきました。

これをクラス全体に広げていきたいです。
最近ちょっと小6の子供たちをどう指導していくか
結構悩んでいたのですが、ちょっと私自身明るい気持ちになってきました。
引き続き頑張ります。
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# by soul_doctor2005 | 2006-10-29 23:19 | 塾の仕事を通じて

保守的

だんだんと更新が疎かになってきていけないですね。
ここしばらくは、仕事の方が忙しくて
家ではパソコンに触りたくないような気持ちでした。
最近は帰宅後はもっぱら読書に明け暮れておりました。
久々の更新です。

さて、受験学年の生徒達にとって大事な時期が続いております。
私たちの塾ではほぼ毎週テストがあるのですが、
そのテストの後にはコメント付きの成績表を返します。
私がほぼ毎回コメントを書くのですが、
最近はどの生徒にも
「あなたの力ならもっと出来ると思う。」
書くことが多いです。
これは本当に実感で
実力があるのに出せないという子どもが本当に多いと感じます。

9月以降、よく子供たちには
「実力を伸ばす勉強」と「実力を出すための勉強」は違う。
という話をしてきました。
この内容を具体的に書くと長いので省きますが、
それを分かって試せる子どもとそうでない子どもがいます。
これは能力の問題ではないのです。

私にはこれは「やる気」と「勇気」の問題だと思っています。
やる気の無い子はただ惰性で問題を解き
勇気のない子は新しいことを試せない。
そしてそういう子は結構多いのです。

話が飛躍するかもしれませんが
最近の報道をみていて
何か事件が起こると何かと「どこかに責任を押し付ける」
という風潮になっているように感じます。
ですから、どうしても「事なかれ主義」になってしまう部分があるように思います。
世の中全体が保守的なように感じるのです。
これはかなり子供たちにも影響があると思います。

何もしなくて良いなら何もしない。
出来るだけ関わりたくない。
新しいことをしたら責任を取らなくてはいけないから何しない。
そんなところが子供たちにもあるのです。

子供たちには以前
「みんなの勉強の様子を見ていると 正面からぶつかって勝てない相手に
正面からぶつかって負けているように見える。」
といいました。何か工夫をして欲しいし、その方法は教えているのですが
なかなか実行しない。教えていてもどかしいです。

ちょっと愚痴っぽくなりましたが、
今の時期は子どもの意識と私たちの意識の差がある時期なのです。
指導者の方も落ち着かない時期です。
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# by soul_doctor2005 | 2006-10-24 23:22 | 塾の仕事を通じて

ピーク

なぜなのか分かりませんが、
最近よく仕事の夢を見ることがあります。
先日もこんな夢をみました。

授業をしているのですが、
教室が学級崩壊状態で
子供たちが全く話を聞いてくれません。
どんなに諭しても、怒鳴っても焼け石に水。
休憩時間のように騒いだり、立ち歩いたり。
気を取り直して、「この問題出来る?」と聞くと
真面目にしている数人が手を挙げてくれます。
ところが、生徒を指名しようとしたら
いつも教えているはずの生徒の名前を思い出せないのです。
「どうしよう、どうしよう」と迷っているうちに
目が覚めました。
「夢で良かった」と思うと同時に何だか恐くなってきました。


今の職場の現実の授業はそんな状態ではありませんが、
そういう状態になってしまうことへの恐怖心はいつもあります。
今はある程度思ったように授業を進めていくことは出来るのですが
「これがいつまで続くのか、ずっと続くんだろうか?」
「いつか指導者としての能力が落ちて、
全く指導力のない状態になってしまうんじゃないか。」
そういう恐さはいつも感じています。

何年か前に「塾講師29才限界論」というのをネット上で主張している人がいました。
それは、指導力が上っていくのと、若さや生徒を引きつけていく魅力、
それから講師としての給与の伸び。
そういう要素を総合すると「29才」が講師としてのピークだ。
それ以上は講師を続けていても下り坂になっていくだけ。
という主張です。
以前勤めていた塾を辞めたときには、
間違いなく私はこの説の影響を受けていました。
ちょうどその頃私は「30才」だったのです。

「信じたくない」と思いながらも
やはりある程度は説得力ある説だとも感じるのです。
「自分も今がピークで、もうこれ以上自分の力は伸びないんじゃないか。」
「ずっとこの仕事を続けていけるのか。」
そういう恐さがあるから、日々「もっと頑張らなくては」と思いますし、
「もっと力をつけなくては」と思います。

私はこの仕事を天職だと思っています。
出来れば一生続けたいのです。
その為にももっと指導者としての実力をつけたいと思います。
「恐さ」が原動力というのは前向きではないのですが、
そういう思いは確かにあります。
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# by soul_doctor2005 | 2006-10-12 00:17 | 塾の仕事を通じて

専門家と素人

私たちの塾でも、
受験生はこれから大変な勉強をしていかないといけません。
この数ヶ月が佳境なのですが、
毎年どんなに成績の良い生徒がいても「これで安心だ」と感じたことはありません。

先日、職場のW先生が私に
「塾長は、いつも『6年生はみんな算数が全然出来ない。』という。」といいました。
今年の6年生は昨年よりずっと成績は良いのですが、
それでも塾長は満足出来ないというのです。
私は「私も、今年の子が去年よりもずっとできると分かっていても、
やっぱり個々の子を見ていくと『何でこんな問題が出来ないんだろう。』と思いますよ。」と答えました。
指導者としては、
子供たちには「際限なく出来るようになって欲しい。」と思うのが普通だと思いますし、私も塾長もそういうつもりで指導しているのです。

ただ、その後このやりとりをしばらく考えていて
「本当にそれでいいのかな」とも思ったのです。

ふと、田中芳樹さんの小説にこういうセリフがあるのを思い出しました。
「専門家が素人に後れを取る場合がある。
それは専門家には、長所より短所が、好機より危機が見えてしまうからだ。」

「これが出来ない。あれが出来ない。」と
つい私は、
子供の短所ばかりが気にかかり、
長所を伸ばすことを忘れてしまいがちです。

授業でも、
「出来たところは別に放っていても良いから
間違ったところをしっかり直そう。」といってしまいます。

この仕事を10年余りやってきて、
時に「自分は専門家だ」という傲りがあることに気づきます。
でもそれじゃいけないですよね。
改めて謙虚にこの仕事に取り組んでいきたいと思っております。
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# by soul_doctor2005 | 2006-10-06 13:02 | 塾の仕事を通じて

努力の方向

以前の記事で
出来ない子は「頑張っても出来ない子」と
「頑張っていないから出来ない子」に分けることが出来る。
大半の子は後者だ。
という趣旨のことを書いたことがあります。

「大半の子」と書いたのですが
残念ながら「頑張っているのに上手く行かない」という子もいます。
今回はそんな話です。

その子は小6の女の子なのですが、
とても一生懸命勉強しています。
私から見る限り、彼女は「勉強が出来ない」とは思えないのです。
ただテストなどでは得点が取れないのです。

でも、彼女は恐らくクラスの中でも1番か2番くらいに一生懸命勉強しています。
彼女は小学生ですから、
私は彼女によく「あんまり遅くまで勉強しちゃいけないよ。」と言うのですが、
それでも、深夜まで勉強をするようなことが度々あるようです。
もともと体も小さくて、体力があるという感じではないので
遅くまでの勉強で体調を崩すこともあります。
彼女の体調も心配ですし、
「なぜそこまで勉強して成績が上がらないのか?」と考えます。

これまで色々考えてみて
彼女の成績が上がらない理由はいくつか考えられます。
その中でも私が大きな理由だと考えるものが2つあります。

まず、彼女がとても「真面目だ」ということです。
普通、真面目だったら、勉強は出来るようになりそうな感じがします。
勿論冒頭にも書いたように
不真面目で「頑張らない」から出来ない子が多いのですが
彼女の場合は逆だと感じます。

彼女は、宿題を出しても、
全部しっかりやろうとします。
ただ問題数が多い日などには、
なかなか終わらなくて深夜までやっても終わらないこともあるようです。
彼女自身は「問題が出来ないから終わらないのだ」と思っているようです。
たしかにそうなのですが、
それだけではなく
話していると彼女は宿題でも他のことでも
全部片っ端から理解できないといけないと思っているようなところがあるのです。
物凄く出来る子でもなかなかそんな訳にはいきませんから
もっと割り切って考えた方が良いと思うのです。

算数も国語も解法が一つではない問題というのは多いのですが、
一つのやり方で上手く行かないと、割り切って他の解法というわけには行かないようです。国語の文章でも、意味の分からない言葉が一つでもあると文章全体が分からないような感じになってしまいます。

全部わからないといけないと思っているから
問題の中の重要な問題とそうでない問題が分からないし
文章も全体を理解しないといけないと思っているから
文章の要点をつかむことが出来ない。

要領の良い子はその辺りをつかんで
いい意味で「適当に勉強する」わけですが
彼女は性格なのか、そういうことが出来ないのです。
そういう意味では「融通がきかない」とも言えます。


さて、もう一つの問題点は彼女は「自分の実力に自信が無い」
ということです。

先日、国語のテストの時に彼女が問題を解く様子を見ていました。
「文章を読みながら、大事だと思うところに線を引きながら読みなさい。」
私は普段そう教えるのですが、
彼女はしっかりとそれを守っています。

その線を引いたところを見てみると
きちんと重要な部分に線が引けています。
その部分を使えばかなりの問題が解答できるようになっています。
ここまでくれは、もう「答えを書くだけだ」と思うのですが、
彼女は書きません。
私はそれを見ながら「さあ、答えを書け!もう答えを書くだけじゃないか!」
と思うのですが、彼女はまだ迷っていて答えを書きません。
テストだから助言をするわけにも行かず、
本当にもどかしい気持ちになりました。
正解を見つけているのに他の答えを探しているわけですから、
当然見つかるわけも無く、時間ばかりがかかってしまいます。
結局、時間がないので
彼女なら解けるはずの問題に取り組むことさえ出来ずに
テストが終わってしまう。
ここ最近、そういうことが続いています。

昨日の晩、彼女に
「最近、問題を解いていて『これかな』と思う所があっても、自信もって答えを書けない。」といわれました。
私が見ていても確かにそう感じます。

そこで、彼女と相談して、
次の国語のテストでは新しい方法を試してみることにしました。

一つは、まず文章を読む前に設問を見ること。
設問を先に見ることで、文章中でも問題に関係ある部分に注目することができます。
「問題に関係ないと思ったら、その部分は無視してもいい。」
と私は彼女にいいました。
設問に関係ある部分が文章から見つけられない場合もその問題は後回しにする。
これは、問題を解く時間の短縮と、
彼女が解けるはずの問題を確実に解答していくための対策です。

もう一つは、自分が最初に『これだ』と思った答えを絶対に書くこと。
彼女には自分が思っているより読解力があって、
最初に考えた通りに解答を選んだら、
そんなに見当違いの答えになることはありません。
これは解答に迷って無駄な時間を使ったしまうことを防ぐ為です。


彼女は
「普通にやっても出来ないのに、こんなことをしていたら0点になるかもしれない。」とかなり渋りました。
でも、私が「0点を取ってもいいからやろう。」と説得したら
ちょっと気が楽になったのか
「やってみる」といってくれました。
テストは今度の日曜日です。
これで、結果が出て欲しいと思います。
上手く行けばいいのですが、
今までずっと上手く行かなかったものが
一度や二度で簡単に上手く行くとも思えません。

それでも、彼女を励ましてやる気にさせて
何とか彼女が実力を出せるように頑張りたいと思います。

私も冒頭に「勉強が出来る」とか「出来ない」とか書きましたが
実際にはそんなに簡単に二分できるものでもないような気もします。

彼女の場合は「実力がない」というより
「実力が出せない」状態で、
彼女自身がそれを「自分は実力がない」と思っていることが
結果が出ない原因の一つだと思うのです。
もちろん、それだけが全て解決できるはずはありませんが
まず彼女が自信を持って勉強に取り組めるようになることで
彼女自身が前向きに勉強に取り組んでいけば
かなりの部分が解決出来ると思うのです。

そのためにもまず結果を出さないといけません。
何とか日曜に良い結果を出して欲しいと
心底願っています。
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# by soul_doctor2005 | 2006-09-29 16:41 | 塾の仕事を通じて

基本性能

私が働く職場では、コピー機をリースしています。
その機械が非常に調子が悪いのです。
業者の方に対処してもらって大分良くなったのですが、
先日最新モデルに切り替わったばかりなので
あまりに不具合が多いのです。

その理由を聞いてみたら電圧の問題だと言われました。
私たちのビルのコンセントの電圧は、
何が原因か分からないけれど95Vくらいしかないのだそうです。
それで原因で不具合が起こっているとのこと。

とはいえ、電圧が低いのは昨日今日始まったことではないはず。
以前置いていたコピー機ではこんな不調はなかったのです。

そのことを聞いてみると
「最新のものは消費電力を抑えたり、省エネルギー化の為に非常にデリケートな作りになっている。だから電圧が足りないなどの状況で不具合が起こりやすい。」とのこと。
それを聞いて、「なんだかどんどん不便になっているんじゃないか」と感じました。
確かに以前より高機能だし、精密できれいなコピーが出来ますが、
それはまず普通にコピー出来てからの話。
安心してコピーが出来ないようでは多機能も意味がありません。
一番大事なのは基本性能のはずです。

ただ、きっと「基本性能が上がった。」というのは宣伝にならないのでしょうね。
それできっと、多機能化など宣伝文句になるようなことばかり性能がよくなっていくのでしょうね。メーカーとしてはやむ終えないのかもしれません。


話は変わりますが、
私は以前塾の生徒に「カレー王子」と呼ばれていたことがあります。
カレーが大好きなのです。
多い時には週3回位店に通っていた時期もあります。
その私がよく通っていた店の中に
「サンマサラ」というカレー専門店がありました。
そのお店は中々上手いカレーを作っていたのですが、
ライバルの店との競争が激しく、
経営は上手くいっていなかったようです。
そこで、しばらくしてから、カレーの他にステーキも扱うようになりました。
その時、私は「これはつぶれるな」と思いました。
カレー専門店なのだから、
カレーそのもので勝負できなくなったら駄目だろうと思ったのです。

案の定、「サンマサラ」は数店あった店舗のほとんどが無くなってしまいました。
今残っているのは私の知る限り、高速道路のPAにあるものだけです。
カレー屋なのだからカレーで頑張らないと駄目なのです。


私たちの仕事でも、やはり基本性能は大切です。
私たちの場合、基本性能は「指導」のはずです。
良い指導をして。生徒達の力をつけ、
それが評判になって新しい生徒が集まる。
そうでありたいと思います。

実際にはそれだけでは生徒は集まりませんから
あれこれ手を替え品を替えていくのですが、
それでも基本性能は大切です。

以前働いていた塾では、
人手が足りないので、
入塾希望の来客などがあると
授業そっちのけで応対していたりしました。
その塾ではそれが当然とされていたのです。
これって本末転倒ですよね。
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# by soul_doctor2005 | 2006-09-26 23:14 | 塾の仕事を通じて

選択

先日、ふと機会があってずっと前に購入していた
映画「マトリックス・レボリューションズ」のDVDを久々に観ました。
そのクライマックスシーンで、
戦いに傷つき、満身創痍になった主人公ネオに、
彼を追いつめたエージェント・スミスが語りかけるシーンがあります。
「もう結果が分かっているのになぜそこまでして闘う。なぜだ?」
ネオの答えはこうでした。
「選択したからだ。」
そして、戦いの結末に向かう。そんなシーンでした。

もともと、難解で教示的な表現やセリフの多いこの作品ですが
こうして改めてみてみると、
このセリフはとても示唆に富んだセリフであるように感じました。

自分自身を振り返ってみて、
今まで他人に比べて自慢できるようなことは何一つ無いし、
人に誇れるようなことは特別ない人生を送ってきたように思います。
(あまり堂々と言うようなことでもないのですが…。)
でも、それでもそれなりに前向きで、
それなりに自分なりにやってこれたのは
自分のことを自分で「選択」してきたからだと言えると思うのです。

これはもしかしたら、自分の中で誇れる数少ないものの一つかもしれません。
日常生活の中の細かい事は別として、
自分の一生を左右するようなことの決断を人任せにしたことは無いと思います。
(自覚している限りには無いと思うのです。)
勿論、自分の両親や友人など周りの人間は色々な意見をくれますから
参考にはしましたが、決めるのは自分自身であったと思います。
割と子供の頃から「自分のことは自分で決める」という意識は強かったと思います。
その分、「我の強い」子供であったことも事実です。

私がこういう性格であったからかどうか分かりませんが、
高校や大学、就職、結婚など、私の進路に関わることについて
私の両親は「ああしろ、こうしろ」などと意見したり、
私が決めたことに真っ向から反対するということはほとんど無かったと思います。
大抵は私が決めたことを追認するという形でした。

そのかわり、
私が何か失敗しても助けてくれることも
ほとんど無かったように思います。
私の両親は共働きだったので、
子供の進路までいちいち考える余裕がなかったのかもしれませんが、
こうやって良い意味で「放任」されていたことは、
「自分で決めたことに自分で責任を取る。」
という意識を自然に持つことができてよかったと今では感じます。
(私の両親がそこまで計算して「放任」していたとは到底思えませんが…。)


だからかもしれませんが、
この映画を観た時のネオの
「選択したからだ。」というセリフに
妙に実感がこもっているような気がしたのです。
「自分で”闘う”と決めたのだから”闘う”」というのが
とてもまともで当たり前のように感じたのです。

今塾に来ている子供たちを見ていると
「自分のことを自分で決める」という意識がとても少ないように感じるのです。
まあ、まだ小学生だから無理も無いのでしょう。

ただ、何気ない会話の中でも、
自分が無用の責任を負わせられないように
ごく自然に”言質”を取られないような会話をしているのを感じます。
まるで政治家のコメントのように、
後で何とでも言いわけできるようにしているのです。
中にはそれが巧みで流れるような子もいて、
自分も気をつけていないと言葉尻を捕まえられて、
何かと責任を取らされそうになります。

自分のことを自分で「選択」して、自分で責任を取る。
というのは、今どき流行らないのかもしれませんね。


でも、やはり自分のことを自分で決めてきたからこそ
上手くいった時の喜びがあるし、
上手く行かなかった時の悔しさや後悔をバネにして
成長することが出来るのだと思うのです。
そうやって、生きていく方が
多分そうでない人より幸せなのではないかと思うのです。

「選択する」ということと、「責任を負う」ということはセットだと思います。
責任には「重さ」がある。
でも、その一方で、
それだけの「価値」があるのだということを
自分自身も忘れないようにしていかないといけないと思っています。
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# by soul_doctor2005 | 2006-09-21 02:18 | 日常の出来事

特効薬

今日の塾の授業の合間に職場のW先生が
「○○君、今どうしているかなあ。」
とふとつぶやきました。

その子は随分前に塾をやめてしまったのですが、
全く塾の宿題をやって来ませんでした。
毎週水曜日には、漢字の小テストをすることにしていて、
他の子はある程度準備してくるのですが、
彼はまともに準備してきたことがありません。
いつもほぼ0点です。
塾もしょっちゅう休みます。
決して力のない子ではなかったのですが
結局「成績が上がらないから」という理由で辞めてしまったのです。

彼が塾を辞める前に
彼のお母さんと話をしたことがあります。
私は彼のことが心配で家に電話をしたり、
成績表にメッセージを書いたりもしていたのですが、
電話はつながらず、メッセージにも反応がなく、
たまたま塾へ彼を迎えに来たところで話をしたのです。

それからしばらくして、彼は塾を辞めてしまったので、
彼のお母さんと話をしたのはその一度きりです。

欠席が多くては授業内容についていくのが難しいということ。
家での宿題を全くしないこと。
テスト前のテキストの復習をきちんとして欲しいこと。
そういうことを話して、
そして、「きちんとやれば必ず力がつく」とも話しました。

それに対してお母さんは
学校の宿題が多いので塾の宿題は出来ないし、やらせる気も無い。
他の習い事(合気道だったと思います。)があるので、これからも塾は休む。
ということを言われた上でこういわれました。
「お金を払って塾に入れているのに、なぜ成績が上がらないのか?」と。

他の子供の保護者なら「申し訳ありません」と謝ったと思います。
私の仕事は「授業をすること」ではなく「成績を上げること」ですから。
でも、彼の場合、「ロクに塾に来ない。」「宿題もしない。」で、
そのことを保護者が公認しているわけですから、
正直言って為す術がありませんでした。
こんな状態で子供が塾に対してやる気になるとは思えません。
(もちろん指導者としてはそうしなくてはいけなかったと思うのですが…。)
それでいて、「なぜ成績が上がらないのか?」と言われたのにはとても悔しいし、
腹が立ったのを覚えています。

一年ほど前に、私のHPにその出来事を載せていました。(今は削除しています。)
一年前の私は「そんな魔法があるなら教えてくれ。」と思った。と書いています。
今も同感です。
あの状態で彼の成績を伸ばしてやるというのは、「魔法」の領域の話だと思います。
「お金を払っているんだから」と言われても
「お金」では成績は買えないのです。

この出来事に限らず、「お金を払っているんだから…」というようなことは
私自身もつい思ってしまうことです。
お金さえ出せばどんなことでも解決するという風潮があるし、
世の中便利になったから、今まで出来なかったことが簡単に解決するだろうとつい思ってしまいます。

お金さえあれば、おいしいものが食べられる。
お金さえあれば、ぜいたくができる。
そうかもしれませんが、当然ながらお金ではどうにもならないことがあります。

自分が楽をしたいがために、自分が抱えている問題に「特効薬」を求めてしまう。
そんなところが私自身にもあります。塾の生徒達にもあるようです。

今日も社会科で北朝鮮の「拉致問題」について触れたら、
「先生、拉致問題ってどうやったら解決するの?」
と聞かれました。
「それはよくわからない。それを私が知っているくらいなら、もう解決している。」
と言いましたが納得してくれません。
それからも何度も聞いてきます。
「先生なんだから、知っているのがあたりまえでしょ」というのです。
きっと自分が納得できるような簡潔な答えを期待していたのでしょうが、
世の中には解答の無い問題もあります。
結局、他の生徒が「もういい加減にしろ。」と言うと
その子は引き下がりました。

その子に限らず、そんなことは今の世の中ではよくあるように思います。
簡単に解決できないことについて深く考えたり、悩んだりせずに
簡単に答えをだしてそれで済まそうとする。
簡単に解決できないとあきらめる。
そんな世の中なんでしょうか?


小4のテキストの論説文に
「今の世の中はなんでもインスタントだ。」と書いてあったのが
今はとてもリアルに感じます。
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# by soul_doctor2005 | 2006-09-13 00:01 | 塾の仕事を通じて

「憧れ」という燃料

一昨日のことですが、
小5の女子が塾長(理系担当)のところに算数の質問に来ていました。
そこでどういう話になったかよく分からないのですが、
塾長に「このテキスト(算数)で一番難しい所を選んで6年生にやってもらえ!」
と言われたようです。
その子は友達と、
たまたま早く塾に来ていた6年生の男子に
テキストを見せて解いてもらっていました。

その男子は、6年生に中でもずば抜けて成績の良い子で
その5年生の女子たちは
自分たちがさっぱり分からない問題を
あっという間に解く彼の様子にびっくりしていました。
「あの人は人間じゃない!!」とか言っていました。

塾長はきっと
「頑張ればいまやっていることなんて簡単にできるようになる。」
ということが言いたかったのだろうと思います。
やはり目標があるというのはいいことですよね。


話は変わるのですが、
ある6年生の女子は、
近所の中学生の女の子と同じ学校に行きたいと一生懸命頑張っています。
そういうこともあるからか最近凄い勢いで成績が上がっています。
その中学生は広島大学附属中学に通っていて
そこは広島県内でもかなりの難関なのですが
この調子なら十分に合格できる実力をもって受験に臨めそうです。

どんな世界でも、
目標をもって頑張っている人は強いし、
見ていて魅力があります。
そしてどんな人でも努力するのには「燃料」が必要だと思います。
実力をつけたい、負けたくないというのもあれば
「この人のようになりたい」という憧れもあります。

そしてそういう人ほど、
自分自身も充実していて幸せなのではないでしょうか?
私自身もそうありたいし、子供たちにもそういう思いを感じてもらえたらと思います。
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# by soul_doctor2005 | 2006-09-11 12:24 | 塾の仕事を通じて

遅ればせながら新学期開講です。

もう今週最初のことですが、
9月からの新学期が私たちの塾でも開講しました。
ここからが、受験本番と思うと何だか緊張します。
一方で受験する子供たちにはまだ緊張感がほとんど感じられない。
この指導者と生徒のギャップもこの時期の「風物詩」のようなものです。

気持ちばかり焦って空回りしないように
バランスを考えて頑張りたいです。
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# by soul_doctor2005 | 2006-09-11 11:48 | 塾の仕事を通じて

森 毅さん

森毅さんという方がおられます。
よく国語のテキストに文章が載っているのですが、
ちょっと困った方です。

というのも、
その文章の内容が「勉強なんか、嫌ならしなくていい。」とか
「自分の好きなことばかりやりなさい。」とか
「子供なのだから、遊ぶのが一番。」とか
そういう内容の文章なのです。

たいてい、揚げ足を取るように
「先生のいうことと全然違う。」などと言ってくる子がいます。
そりゃあ、こういう仕事をしていて、
「勉強するな。」とは立場上言えません。
「こう書いてあるんだから、先生宿題出さないで。」
などと真面目な子まで言いに来たりします。
本当に困ります。

森さん自身は有名な数学者ですから、
それなりに勉強もしたはずです。
遊んでばかりいて、数学者になれたわけではないはずなんですが…。
実際の所どうなんでしょう?

数学が大好きで、勉強という意識がないままに数学者になられたのでしょうか?
もしかしたらそうかもしれないですね。

私も学生時代得意だった科目では、一生懸命勉強したという記憶がありません。
社会科は、学年でもいつも上位でしたが、まともに授業を受けたことがありません。
逆に一生懸命頑張った科目ほど出来が悪かったような気もします。
数学なんて、一番時間と労力を使ったのに結局全くマスター出来ませんでした。


だから、森さんの意見には説得力があるんですよね。
好きなことをやる方が充実していて、結果も出ると思うし
「子供だから遊びが本分」と私も思うし、
「塾に来ている子は大変だよなあ」とつい感じます。
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# by soul_doctor2005 | 2006-08-31 10:45 | 塾の仕事を通じて

自信過小、自信過剰

私の大学時代の話です。
当時私はよく友人とカラオケに行っていたのですが、
その時、適当に一つのグループの曲を片っ端から予約して、
順番に曲を知っていても知らなくてもとにかく歌う。
というようなゲームをやっていました。
歌えなかったら罰ゲームです。
近所の家にトイレを借りに行くとか
日本酒とか、ビールとか、ウイスキーとか、焼酎とかを混ぜ合わせた
何だかわからないような酒を一気で飲まなくてはいけないとか、
パンツ一丁で近所の店に買い物に行くとか
そんな罰ゲームでした。
今考えればアホみたいなことなのですが、
そんなことがなぜか流行っていたのです。

そういうこともあって、知らない曲でもそれなりに一生懸命に歌うのですが、
私が歌うと周りに人にクスクス(時にはゲラゲラと)笑われました。
音痴だということではなくて(音痴かもしれませんが)
「お前って、何で知ってる曲と知らない曲で歌い方がそんなに違うの?」
と言うのです。
確かによく知っている曲は自信があるので、朗々と力一杯歌います。
「歌えない」という心配がないので、楽しんで歌えるわけです。
知らない曲だと罰ゲームがあります。
気になるし、よく知らないから恐る恐る歌います。
当然自信なさげに歌ってしまうわけです。
確かにその落差は結構あったかなと思います。


このカラオケだけでなく、
他のことでも
よく知っていて慣れていることはどんどんやって、
慣れていないこと、自信がないことには及び腰になってしまうことが私にはあります。
ふだんの生活でも慣れていることばかりしているので、
家でやっていることも大体同じようなことで
出かけてから行く場所も大体決まっているという感じになってしまっています。
ふり返ってみるとちょっと淋しい感じもします。


子どもたちが勉強に取り組むときもそんな傾向が感じられます。
自分が得意な科目は自信満々で、
答合わせでも「当てろ、当てろ」としつこいくらいの子が
苦手な科目になると、
指名されないように、静かに目立たないようにしていたり…。


子どもたちだけじゃないですから
子供ばっかり責めてはいけないですが、
「自分の安全地帯を決めてその範囲からは出ない。」
そんな生活に私たちはなりつつあるように思います。
自信のあるものは「自信過剰」になって、
自信のないものには「自信過小」になる。
そんな感じでしょうか・
慣れないもの、苦手なものに挑戦するということが最近少ないようだと反省です。
世の中が便利だから、
つい「こんなこと出来なくても何とかなる。」と思ってしまうし、
実際何とかなってしまう。
それだけに新しいことを、「苦労してやることない」とつい思ってしまいます。

考えてみたら、最近ちゃんとした「外出」というのがとても少なくなっています。
出かけると言っても車で移動して、
ショッピングモールとか何かの施設とか
どこか屋内の建物に入っていくという「外出」が多いです。
純粋に外にいる時間は本当に少ない。
これって「外出」って言えないかもしれませんね。

物騒な世の中ですから、
出来るだけ安全に暮らしたい。
そのためには仕方ない
という気もするんですが…。
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# by soul_doctor2005 | 2006-08-30 21:19 | 日常の出来事

日本語は後ろが大事

いつも国語を指導していて感じるのですが、
初めて教える子供でもある程度会話をしてみると、
その子が国語が得意か苦手か大体わかります。

雑談をしながら、いくつか問いかけをしていくと、
国語が得意な子は過不足なく答えてくれますが、
苦手な子は話が長くて要領を得なかったり、
聞いたこととは合わないことを答えたりします。

当然のことですが
国語は「文章を読んで質問に答える。」ことが中心ですから、
たとえ会話であっても、
きちんと質問に答えられる子は
文章でも同じ事が出来る(例外もありますが)といえると思います。

さて、最近子どもたちと会話していてふと気付きました。
国語が苦手な子と会話をしていると、
質問にきちんと答えられないということの他に
その大半の子どもには共通点があるのです。
それは「述語を省いて喋る。」ことや
「単語の形で喋る(つまり言葉を文の形で喋らない)」
と言うことです。

例えば、私が補習のために
「明日、早く来れる?」と聞くと
「え〜っと、それは……。」とか
「あしたはちょっと…。」というように答えたりします。
語尾を省くのです。
また、「無理!」とか「微妙。」とか単語で答える子もいます。

私はいつも国語の記述問題で
「日本語というのは後の部分になればなるほど、重要なのだ。」と言います。
それは文の最後にはたいてい述語が来るからです。

「私は勉強が得意だ。」と「私は勉強が得意ではない。」では
意味が正反対です。これは最後まで見ないとわからないことです。

ところが大人でもそうですが、日常会話というのは
語尾(述語)を省く傾向が強いのです。
それが国語の問題を答えていくときの障壁になっている感じがします。

大雑把な印象ですが、
「よく喋る子」には国語が得意な子が多いです。(もちろん例外もあります、)
これは、会話をしてきた経験が多いからではないかと思います。
会話の中で自分の考えを不手に伝えた経験や相手の考えを感じ取る経験を多く積んでいるということは、
国語の勉強に限らず非常に役に立つと思います。

保護者の方にもよくいうのですが、
国語は日常生活の中で鍛えることの出来る科目です。
そのことを出来るだけ多くの子どもたちに理解してもらえるように取り組んでいきたいと思います。
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# by soul_doctor2005 | 2006-08-24 21:43 | 塾の仕事を通じて

サウンドマリーナ2006

昨日、広島の夏の野外音楽フェスサウンドマリーナ2006に妻と行ってきました。

広島港近郊の特設会場での開催で、付近が交通規制で一切交通機関が使えないため
ほとんどの人が広島港から徒歩で会場へ。
広島港近くに住む私たちも自宅から歩いて会場に行きましたが、かなり時間がかかりました。午後3時半開演ということで、1時間前に出発したのですが、結局開演ギリギリになってやっと会場入り出来ました。
昨日まで九州で猛威を振るっていた台風の影響で、
今回のイベントは開催が危ぶまれたのですが、
空は何とか持ちそうながら、
泥と水たまりで地面はぐちゃぐちゃ、
ぬかるんだ地面にシートを敷いて開演を待ちました。

6アーチストで計6時間。
さすがに昔のように若くは無いので
休み休み参加しましたが、とても素晴らしかったです。
野外であそこまできれいに音が聞こえてくるとは意外でした。

私は以前の記事でも紹介したコブクロ目当てで来たのですが、
他のアーチストも素晴らしかったです。
やっぱり「歌が上手い」というのは物凄い才能だなと感じました。
コブクロは勿論、ゴスペラーズも他のアーチストもとても良かったです。

でも一番衝撃だったのは「アンジェラ・アキ」という女性シンガーです。
全然名前を知らなかったので、全く期待していなかったのですが。
とにかく圧倒的な歌唱力と染みこんでくる歌声に
私の周りの人たちも私も
手拍子も歓声も忘れて、ただただ聞き入ってしまいました。
私の前に立っていた女性は感極まって涙ぐんでいました。
でも、気持ちは十分分かりました。私も自分一人ならそうだったかもしれません。
自分の歌とグランドピアノだけで、
約2万人の観客をここまで湧かせる人がいるんんだなあと感激しきりです。
一昨日の金曜日には札幌の「ライジングサン・フェスティバル」に出演したそうですが、きっと札幌でも沸き返ったでしょうね。本当に素晴らしいパフォーマンスでした。

CDは確かに音は良いけれど、
生の歌声にはCDには決して込めることの出来ないものがあるんだと実感しました。
やっぱりライブは良いです。

来年もあるそうなので、
「来年も絶対行こう。」と思っている次第です。


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# by soul_doctor2005 | 2006-08-20 23:04 | 日常の出来事

首都圏の大停電について

テレビなどでさんざんいわれていますが
ほとんどの意見に同感です。

日本はまだ多くの諸外国に比べ、
まだライフラインを維持し機能させるシステムは
割と上手くいっているのでしょう。
この停電が(わずか…とあえて言います。)
3時間ほどでほとんど復旧したのはその現れだと思います。

むしろ気になるのは、その電力に依存している私たちの方です。
3時間電気が使えないと社会生活が成り立たないような社会になっているわけですよね。
私は自宅にいますが、
今電気をじゃんじゃん使っています。
そもそも、このブログ自体がパソコンが動かないと更新できません。

私もかなり電気に依存して暮らしています。
広島で起こったらかなり困ってしまいます。
できるだけ電気に頼らない生活をしないといけないんですが、
なかなか難しいですね。
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# by soul_doctor2005 | 2006-08-14 18:55 | ニュースについて

クルマを好きだということ

私の妻の妹が結婚して熊本に住んでいます。
その妻の妹一家が今広島に来ているので
妻の実家で日曜の夜、バーベキューをしました。

酒も結構入っていてその分いつもは話さないような話もしたのですが、
話題がクルマの話になった時に、
義父から「あんた(私のことを義父はこう呼びます。)は”クルマ好き”とは言えんな。」
と言われました。
義父は新卒から定年までずっとマツダ一筋のクルマ人生を歩んできた人で、
「そりゃあそういう人から見れば、”クルマ好き”じゃないな」と思います。
大体私はクルマは乗るだけでロクに手入れもしないし、
泥だらけのクルマを平気で運転していたりします。
だから客観的に見ても、”クルマ好き”ではないと思います。

でも自分では結構”クルマ好き”だと思っているんです。
そこでよく考えてみたら、
義父の言う”クルマ好き”と私が思う”クルマ好き”というのは違うんだな。
ということ気がつきました。

義父の言う”クルマ好き”というのは自動車そのものが好きな人で
私が”クルマ好き”だというのは、
「クルマを使って出来ること」が好きなのだと言うことなのです。

海に行ったり、ドライブをしたり、買い物に行ったり
仕事が遅くなった時は車で寝たり(昔の話ですが)、
一人で大音量で音楽を聴いたり、
妻や子供たち、友人と旅行にいったり、
私はそういうことが好きなのです。
だから、クルマを買う時も、クルマそのものの魅力よりも
「そのクルマで何が出来るのか」を優先して考えます。

初めて自分のクルマを買った時には嬉しくて仕方なくて
仕事の帰りにわざと遠回りして帰ったり、
買い物に行くのにわざわざ遠くの店に買いに行ったり、
用も無いのにカー用品の店をうろうろしたり、
地図を見て、「ここに行こう」とあれこれ考えたりしたものです。
そうやって積み重ねた色々な思い出があるので、
そのクルマに愛着があるし、
動かなくなって、乗り換える時は寂しい気がしたものです。
そういう意味では、私みたいな人間も”クルマ好き”と言ってもいいんじゃないかな?
と思います。

その割にクルマの手入れをしないので、そこがいけないんですが…。

先週愛車を車検に出したら、古いなりにきれいに洗車されて戻ってきました。
今後は反省して、きれいな状態を保っていこうと思っています。

そういえば、妻が私のクルマで実家に帰ると
大抵義父が私のクルマをきれいに洗ってくれます。
多分、私があまりに手入れしていないので、
本当の”クルマ好き”である義父には見るに堪えないのでしょう。
そういう義父に感謝しつつ、
今後は義父の手を患わせないようにこまめに手入れしていきたいと思います。
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# by soul_doctor2005 | 2006-08-08 20:55 | 日常の出来事

向学心

昨日の授業で、小6で入試問題をやってもらいました。
三重大学附属中の問題だったのですが、これを
「さんじゅう」大学と読んだ子がいます。
その子は、何度繰り返し注意しても、
都道府県を覚えることをせずに、
授業でも「私は都道府県なんかわからない。」と堂々という子です。
三重県という県があることを知らないか、忘れているのです。

都道府県を覚えることくらいは、
しっかりやれば何とかなると思うのですが、
問題なのは「そんなこと出来なくていい。」と思っていること。
だから、覚える気がないのです。
そんなに力のない子だとは思いませんが、
他の子に比べると努力がたりない。
これから受験の佳境に入ってきて、
きちんとやってくれるか心配です。

以前に教えていた別の子供で
アナログ時計の時刻が読めない子がいました。
全く読めない訳じゃないのですが、
4時30分などの時刻だと
短針が4と5に間にあるので
「4時30分」か「5時30分」が迷う
というのです。
そういうことがわからないと日常生活で困りそうなものですが、
本人はあまり危機感を感じていないようでした。


学力低下が叫ばれている今の世の中ですが、
問題なのは学力そのものの低下よりも
子どもたちの向学心の低下だと感じます。
これは、学校などでいわゆる「出来ない子」に合わせて
授業が行われているような側面もあると思います。

余りに平等ということにこだわりすぎて
子どもたちの伸びる可能性をスポイルしているように感じるのです。
出来なくても困らないし、注意もされない。
逆に「出来る子」の方はもうわかっていることを繰り返し聞かされるし、
どんどん先をやろうとすると注意される。
「出来ない子」はいつまでたってもやる気にならず、
「出来る子」はどんどんやる気をなくす。
今の学校教育にはそういう面があると感じます。

私はいわゆる「出来ない子」というのは、
2通りに分かれると思っています。
「頑張っても出来ないという子」と
「頑張ってないから出来ない子」です。
私は今の「出来ない子」というのは
はるかに後者が多いと思います。

ほとんどの子はやる気を出して、
一生懸命取り組めば何とかなる子です。
でも、心底勉強嫌いになっていてやる気が出せない。
そういう子が増えてきているように思います。

塾の指導者として、二人の娘の親として
今の学校教育の現状が心配です。
学校の先生はとても頑張っているというのはよく知っています。
でも、個々の先生方の頑張りだけではどうにも行かないようなことも多いようです。
地域や自治体や国が、しっかり学校をサポートしていくべきだと感じます。
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# by soul_doctor2005 | 2006-07-27 21:00 | 塾の仕事を通じて

地理の嫌なところ

「日本国勢図会」という統計集があります。
社会科で地理の指導をするとき必須の資料です。

先日、「日本国勢図会」の最新版を入手して、
今日じっくり内容を確認したのですが、
「う〜ん、困ったなあ。」と
唸ってしまいました。

というのも
毎年この「日本国勢図会」をチェックするのは、
地理の統計資料が毎年変わってくるからなのですが、
それでも、農産物の日本一の都道府県、水産物の漁獲高
その他もろもろ含めても、
小中学校の学習に関係あるような項目は
毎年一ヶ所か二ヶ所位の変更点しかないものなのです。
それが、今年は大きく変わっています。

例えばこんな感じです。
米の生産日本一は新潟から北海道へ
鶏(ブロイラー)の生産日本一は、鹿児島から茨城へ
キャベツの生産日本一は、愛知から群馬へ
みかんの生産日本一が、愛媛から和歌山へ

原油の最大の輸入相手国が、アラブ首長国連邦からサウジアラビアへ
工業地帯ごとの生産額の順位が変わり、
今まで全国3位だった、阪神工業地帯を抜いて
関東内陸工業地域が全国3位に。

今、地理を習っている5年生も
昨年、地理を学んだ6年生も覚え直しです。

「そんなの困る。どうにかしてよ」
って生徒にも言われたんですが、
こればっかりは私にはどうにも出来ません。

生徒達も頑張っているから、気の毒だなとは思うんですが、
地理を学ぶときに避けられないことではありますよね。
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# by soul_doctor2005 | 2006-07-26 22:28 | 塾の仕事を通じて