広島フラワーフェスティバル

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先日の記事でご紹介しましたが、広島フラワーフェスティバルに行ってきました。
本当は昨日のうちに更新したかったのですが、非常に疲れていて午後9時には寝てしまいました。今年で30回目の開催のフラワーフェスティバルですが、私は毎年行っているわけではないので今年は10回目くらいでしょうか?
子供の頃はほぼ毎年行っていました。
昔、くじ引きで小泉今日子の特大パネルが当たって、バスでもって帰るのが
恥ずかしかった思いでがあります。
年を追うごとに会場が広くなっているように感じるのですが、
今年も会場が増えて、全7会場で行われたそうです。
とにかく会場は広いし、複数のステージととてもたくさんのブースがあるので
今までも全てのイベントをみたことはありません。
それにすごく人が多いです。昨年は3日間で160万人が来たそうですから
恐らく昨日一日で55万人くらいいたんでしょうか?
とにかく人だらけです。
会場のどこかに知り合いがいても、まず気がつきません。
正直言って私の家のように小さい子供がいる家庭には大変です。
子供を抱っこして、肩車してある続けるのはたまりません。
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フラワーフェスティバルの名物はパレードなのですが、
人垣が多くて、ほとんど観ることができません。
それでも子供が見たがるのでずっと肩車です。疲れました。
行くまでは結構楽しみにしているんですが
行くと早く帰りたくなります。
それでも、多分来年になったら、また行きたくなるんでしょうね。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますし、
大イベントならではのあの「お祭り感」がいいですよね。

5月か6月には広島では「とうかさん(広島浴衣祭り)」もありますし
夏には「広島港花火祭り」や「サウンドマリーナ(音楽フェス)」が
すぐ近所であります。
文句言いつつもイベント大好きです。

明日からは、九州に2泊4日(一日は車中泊です)で旅行に行ってきます。
天気が良くないようなのが心配ですが、もうカッパも買いました。
雨天決行で楽しんできます。

皆さんもよい連休を。
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# by soul_doctor2005 | 2006-05-04 23:21 | 日常の出来事

連休スタート

五月になってしまいました。
巷の皆さま同様、GWが待ち遠しかった私ですが、
いざ休みになってみるとどうということもありません。
妻は仕事、子供たちは保育園で私は結構暇を持て余しています。
一応、6日から九州の方へ旅行に行くことになっているのですが
どうも6日以降は天気が悪いようです。

ウチは家族で何かすると大抵悪天候です。
家族の誰かが雨男、雨女なんでしょうか?
妻は、雨対策に、昨日近所のホームセンターで子供用のカッパを
購入しておりました。
家の家族旅行は余程でないと雨天中止はありません。
「雨の中運転する身にもなってくれ」
といいたいところですが、まあ仕方ないですね。

明日は、子供を連れてフラワーフェスティバルに行く予定です。
昨年今の場所に引っ越してから、
フラワーフェスティバルの会場がとても近くなりました。
私一人なら歩いて行けるくらいです。
明日は路面電車で行ってきます。

明日の晩にその模様を更新できたら良いと思っております。
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# by soul_doctor2005 | 2006-05-02 09:27 | 日常の出来事

仮想世界

以前読んだ「99.9%は仮説」という本についての話題です。

この世界は、実は数秒前に誕生したばかりです。
でも、あなたの頭の中には精巧なニセ記憶が仕込まれているので
あなたはもう長い間生きていると思っていますし、
地球は何十億年も続いていると考えているのです。
この仮説を否定する方法はありますか?(本文より)

「マトリックス」という映画は多分多くの方が
ご存知だと思うのですが、まさにそんな感じの仮説です。
自分の生きている世界が本当の世界じゃないという思いは
誰もが一度は感じたことがあるのではないでしょうか?

私も一生懸命考えてみたのですが、否定する方法は思いつきませんでした。
私が頭が鈍いので分からないのかと思っていたら、解答編には
「驚くべきことにこの仮説を否定する証拠はありません!」と書かれています。
哲学者がよく使う理論なのだそうです。

何だかちょっと恐い感じがします。
今生きている世界で自分なりに努力して
今の自分を作ってきたわけで
それが全部嘘だとしたら
「今までの人生は何だったのか?」
って思っちゃいますよね。

ただ、私自身もこんなことを信じているわけでは無いのですが。
この仮説に限らず、自分がよりどころにしているものが、
嘘だったり、完全に否定されてしまったら恐いですよね。

「トゥルーマン・ショウ」という題名だったと思うのですが、
ジム・キャリー主演の映画がありました。
主人公は、生まれたときからテレビ番組が作った架空の世界に生きていて
家族から、近所の人、人生(?)で出会う全ての人間がテレビ番組が
用意した人間で、主人公はそれを知らずにずっとその世界で生き続けて、
その様子を番組として放送している。そんな映画でした。

私に限らず多分多くの人が、
「今生きている世界実在するのか?」とか
「この世界は本当の世界じゃない」という思いを
感じたことがあるのではないかと思います。

今の世の中で現実感を感じられない人が増えているようですが、
そういう人がこういう考えを持ち始めたらと考えると
なんだか今の日本のとんでもない事件の一端が見えるよな気もします。

イスラム教のテロリストは、
「殉教したら、死後の世界で豪華な暮らしが待っている。」
と繰り返し信じ込まされるのだそうです。
「この世界は本当の世界じゃない」と信じ込んでしまったら
どんな残酷なことでもできそうで
とっても恐ろしいですね。
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# by soul_doctor2005 | 2006-04-28 21:24 | その他

寄り道

仕事にいったり、学校に行ったり
そういうことで大抵の人は
”ほぼ毎日通る”という道があると思います。

私自身もそうで、家からバイクで約十分かけて職場に向かいます。
ただ、たまにどうしても寄り道してみたくなるのです。

昔からそういう癖があり、
以前にクルマで片道一時間の通勤をしていたときは
できるだけ早く家に帰りたくて
どういう道を通れば近道かということを知りたくて
様々な道を通ったものです。

距離で言えば幹線道路を通っていくのが
地図上は最も早い。
でも、実際には渋滞があったり、信号待ちがあったり
そういうことで、地図上で近い道が必ずしも早い道とは限らない。
このときは結局幹線道路を使わずに、
人気の無い閑散とした裏道を通って帰っていました。

この裏道は垰道なので、鹿を轢きそうになったり、
離合できなくて困ったり、色んなことがありましたが
便利な幹線道路を通るより色んなことを感じながら走っていたと思います。
この道を峠の頂上まで登り、てっぺんから下り始めると
広島市街地の夜景が非常にきれいに見えます。
いつも深夜に家路につきながら、この夜景を見ると
何となくホッとしたものです。
日によってはここでクルマを停めて、
しばらく夜景をみて過ごすこともありました。

今でも、毎日ではありませんが、
いつも通りの道を通って走るのが嫌になって
遠回りと分かっていても、違う道を通って帰ることがあるんです。
そうすると、今まで知らなかった近道が見つかったり、
面白そうな店が見つかったり、なにかしら新しい発見があったりします。
それが、なんだか楽しいのです。

いつも同じじゃつまらない、
だれでもそういうことってあるんじゃないでしょうか?
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# by soul_doctor2005 | 2006-04-26 09:48 | 日常の出来事

アルベルティーニ

サッカーの元イタリア代表選手でアルベルティーニという選手がいます。
最近引退したのですが、ここまでACミランを始めとして、
世界トップクラスのクラブでプレーした名選手です。

先日彼のインタビュー記事を読みました。
彼のサッカー人生は文句なしに素晴らしいのですが、
印象的だったのは、彼がサッカーというスポーツを心から愛していることです。
インタビュー記事ですから生の声を聞いたわけではないのですが、
「この素晴らしいスポーツをずっと出来て嬉しい。」
「サッカーは世界で最も美しいスポーツだと思っている。」
こんな言葉が記事に随所にかかれています。

よく私はサッカー誌を読むのですが、
選手のインタビューの中には監督批判をしたり、
他の選手を中傷したりする選手も見られます。

でも彼はそんなことはなく、自分がここまでプレーできたことを喜び
現役を引退した今も、「サッカーをやって良かった。」と心から感じているのが
よく分かりました。
彼は今後サッカーの監督をしている父とともにサッカースクールを開くそうですが、
将来はプロチームの監督も目指しているそうです。
彼が「家族のようだ」と評するACミランの監督として指揮をとる姿を是非みてみたいと思います。

この記事を読んで感じたのは
「自分もいつかこの仕事を辞めるときがくる。その時に彼のように悔いなく
終われるだろうか。」ということです。

私はプロスポーツ選手じゃないので、やろうと思えば60歳まで
あるいはそれ以上もこの仕事が出来るかもしれません。
もしかしたら、逆にもっと早く辞めるときがくるかもしれません。
ただ、プロスポーツ選手と違うのは、たとえ不本意だとしても
自分自身で辞めるときを決めることが出来るということです。
その時に自分が、今のこの仕事を振り返ってどう感じるのか。
将来のこととはいえとても気になります。

世の中には、
自分が本来やりたいと思っている仕事が出来なかった人も
結構いると思います。
私も本当は学校の教員になりたかったし、
その前は外交官になりたかったのです。

それらの仕事には就けませんでしたが
それでも、私は自ら選んでこの仕事をしています。
この選択は正しかったと今でも思います。
出来ることなら一生続けたいと思っています。

「塾講師をしていて良かった。」と思える仕事をしていきたい。
そう思います。これから何年出来るのかは分かりませんが
悔いは残したくないです。

彼は、誰が見ても文句なしのサッカー人生を送りました。
それはとても素晴らしいことです。
ただ私は、自分自身が納得できたら良いのです。
自己満足かもしれませんが、それで十分です。

仕事って、ただお金を稼ぐだけのものではないと思うのです。
「充実した仕事が出来た。」と思える人生は
とても幸せだと思う。自分もそうでありたいです。
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# by soul_doctor2005 | 2006-04-19 00:09 | 日常の出来事

精神論

今は結果が求められる世の中なので
科学者とか、教師とか、会社の営業マンとか
そういう仕事の人は、
「一生懸命やります。」とか
「頑張ります。」とか
気持ちを言っているだけじゃ駄目なのは分かっているのですが、
それでも、私はつい子供たちに向かって
精神論を語ってしまいます。
「語ってしまう」と言っても
自分で悪いと思っているわけじゃないですが…。

たまに私は生徒にこういいます。
「言葉は悪いけど皆さんの中にアホな人はいない。
それでも成績のいい人と悪い人が入るのは
努力しているかどうかの違いだ。」
本当にそう思っています。

灘中とかラサール中とかいうような全国の難関の学校に
トップで合格するような実力をつけるというのは別として
中学受験をする子供たちの中に交じって、
その中で中の上くらいの成績までは
どんな子供でも努力次第でなれると思っています。
そういう意味で「アホな子はいない」と思っているのです。

でも残念ながら、私が教えている全ての子が勉強して
そこまでの状態になるわけではありません。
それが非常に悔しいのですが、
やはりこれは気持ちの問題なのです。
「頑張る気があるか?」
「苦しいときに投げ出さずにやれるか?」
ここのところで、努力をしないで終わる子がいるわけです。

その子達に「もっと頑張って欲しい」という気持ちは
すごくあります。
ただ、学校よりずっと難しいことをやっていることを思えば
、あまり厳しく叱るのはかわいそうな気にもなります。

こんな感じで、私自身も自分自身の中で葛藤があって、
それが指導の不徹底になっているのではないかと思うときがあります。

なかなか結論のつかない問題です。
気持ちで勉強が出来るわけじゃないのですが、
勉強の成果に気持ちが大きく影響するのは確かではないかと思うのです。

指導者が精神論ばかり言っていては駄目だとは思うのですが…。
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# by soul_doctor2005 | 2006-04-18 10:20 | 塾の仕事を通じて

轍(わだち)その2

今日、仕事に行く前フジテレビ系のお昼前のニュースを見ていたのですが、
その中で10年前に立教大学の学生が駅のホームで、男に殴られ殺されたという事件について放送していました。この事件の犯人はまだ見つからないまま、今日で丸10年となったそうです。

被害者のお父さんは犯人を見つけだすため、今でも駅でビラを配るなどの活動をしているそうですが、そのお父さんの語っていた言葉がとても痛々しく感じました。
「事件の時、ホームには120人の人がいた。多くの人が見ていた。それなのになぜ犯人が捕まらないのか。」
「倒れている息子のために、120人の誰か一人が救急車を呼んでくれたら息子は助かったかもしれない。」

先日、轍(わだち)という記事を書いたのですが、このニュースを見てすぐこの記事が思い浮かびました。
「余計なことは言わない方がいい。」と考える人が多い。そんなことを書いたのですがまさにそんなことが東京で起こっていたのです。この場合は「余計なことはしないほうがいい。」ということになると思いますが、「これでいいのか?」って思います。
目撃情報では犯人は一人のようです。被害者は大学生、成人の若者ですから、命を失う程の状態になるまでかなりの時間殴られたのではないかと想像できます。その間周りの人が「見て見ぬ振り」していたということになります。それで命を失うような事態になったとしたら、家族が納得できないのも無理はありません。

ただ、私がその現場にいたら、きちんと止めにはいることができたか?
警察に通報したり、救急車を呼んだり出来たか?
といえば正直自信がありません。
私も出来ることなら正しいことを実践しようとはいつも思うのですが、
今の世の中のとんでもない事件を思うと
関わり合いになるととんでもないことに巻き込まれるのではないか
という不安も感じるのです。
正義感で目の前で行われている事件に関わって
命を失ったり、とんでもない損害を受けたという事件も珍しくありません。

ホームに120人の人がいて、みんなが全く無関心であったとは私は思いたくありません。
「止めなくてはならない。」、 「通報しなくてはならない」と感じながら、
様々な思いでそれが出来ず、被害者が亡くなったと知って、
良心の呵責に悩んでいる人も少なからずいるのではないでしょうか?

正しいことをしようとする人間が報われない世の中。
こう書くと大げさかもしれませんが、
「嫌な世の中になった。」と何となく感じてしまいます。

「余計なことは言わない方がいい。」とか
「余計なことはしないほうがいい。」とか
つい考えてしまうのは、「その方が得」であったり
「その方が安全」であったりする場合が多いからなのですよね。
そう考えるのはいい気分じゃないのですが…。
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# by soul_doctor2005 | 2006-04-11 23:26 | ニュースについて

轍(わだち)

私は音楽はほとんど洋楽ばかり聴いているのですが、
日本のアーティストの中で好きなのが
コブクロという2人組。
今では超有名になったコブクロですが、
初期の曲の中に「轍(わだち)」という曲があります。

その中にこんなフレーズがあります。
(多少記憶違いがあるかもしれませんが。)

【轍さえもない道をただ進め
傷だらけの両手がいつの日か輝いて見えるまで】

非常にかっこいいなあとたまに口ずさみます。

念のために書きますと
轍というのは、辞書によると「通った車が道に残した車輪の跡。」とあります。
だから「轍さえもない道をただ進め」というのは
他の人のしていないことを率先してしようという意味にとれると思います。
これが実際にはなかなか出来ないんですよね。

私自身もそうなんですが
授業をしていて、指導している子どもたちにも感じるときあります。
子供たちに問題をやってもらって
答え合わせをしようとします。
「この問題を出来た人?」
と聞いても誰も手を挙げてくれないときがあります。
それで私の方で指名をして答えてもらうのですが、
指名をした最初の一人が答えると
とたんに何人もの子供が手を挙げる。
答えに自信がないというより
最初の一人になるのが嫌なのでしょうか?

子供の世界に限らず大人の世界でも
「言い出しっぺが損をする。」というところが
結構ありますよね。
「言質をとる」という言葉もありますが、
何か発言してしまうと
それに対して責任をとらなくてはいけない。
または、「責任をとらされる」というときもあるかもしれません。
何だか「余計なことを言わない方が得だ。」
というふうに子供の方もなってしまっているかもしれない。

指導するときにも
子供たちの中には「余計なこと」を言う子もいるのですが、
そういう子を「困ったもんだ」と思い、
何も言わない子を「真面目にしている」と
つい思ってしまうのですが、
実際にはそうとは限らない。

教えるときに都合の良い子をつい「真面目な子」だと思いがちですが、
そういう思い込みを持たないようにしないといけません。
「言い出しっぺが損をする。」世の中で
自分の思いを率直に口に出来るというのは
大切なことですよね。
そういう子の発言も尊重できる指導をしていかないといけません。

私自身も物おじしないで
必要ならば率直な意見をいうべきだと思います。
たまに「余計なことは言わないでおこう。」という
気持ちが働くときがあるんですよね。

ここまで書いてふと気づいたんですが、
何だか最近の記事は反省ばっかりですね。
それだけ私自身がまだまだということでしょうね。
でもそれはいいことかもしれません。
欠点が見つかるということは、
「直す材料を見つかった」ということだと思います。
そんな簡単じゃないと分かっていますが、
まあ、前向きに考えていきます。
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# by soul_doctor2005 | 2006-04-09 22:48 | 塾の仕事を通じて

隔たり

私たちの塾には「特別」という時間があり、
その時間は、指導者が「今、生徒達にこれが必要だ。」
という内容をその都度選んでやっていきます。

授業の中で、
子どもたちの理解が足りないと感じたところや
テストなどで出来の悪かった所を
この時間を使って復習するために
各科目の授業とは別に設けている時間です。

この授業で使うために
小6の国語の問題を選んでいたのですが、
最近「これがぴったりだ。いい問題だ。」
と思った問題が、
非常に難しい問題だったりするのです。
これが最近結構多い。

入試問題集で
「これがいい問題だ。授業で使おう。」と思ったら
灘中やラサール中の入試問題だったり、
全国の難関中の問題だったりするのです。
もちろん、そんな問題が解ける生徒はほとんどいませんので、
授業で使うことは出来ません。
結局別の問題を使用したのですが、
最近結構こういうことが続いています。

子どもたちが出来る問題の難易度と
自分が出来ると思っている難易度に
隔たりが出来てきているのです。
こんなことがあって
ふと昔のことを思い出しました。


私は約10年あまりこの仕事をしています。
国語と社会を指導していますが
元々専門は歴史です。
ですから、一番指導で自信を持っていたのは歴史なのですが、
新人の頃、ある生徒から
「先生の国語はよくわかるけど、社会はわからん。」
といわれました。
自分では国語以上に自信を持って教えていただけに
「どうしてなのだろう?」とあれこれ考えて、
悩んだのを覚えています。

何年かして、経験を積みいろいろな人に相談して、
だんだんとその理由がわかってきました。
その理由というのは
「自分が歴史を得意だから、出来ない子のことをわかっていない。」
ということです。
自分はわかるから、わかっていない子が
理解できていない部分を簡単にすすめたり、
理解できていないこと自体を私がわかっていない。
そういうことがあったということです。

国語の場合、自分が専門ではないだけに
自分自身が社会人になって勉強し直し、
「自分がミスしたら、子どもたちもミスするかもしれない。」
そういう気持ちで指導していたのだと思います。
それが子どもたちにとってわかりやすい指導になっていた。
そういうことではないかと思います。

今日、国語の問題を選んでいて、
ふと、そのときのことを思い出しました。
あの出来事があってから、
「子供の気持ちを考える。」ということに
気を配ってきたつもりですが、
もしかしたら最近それが疎かになってきているのかもしれない。
そう感じました。
自分では子どもたちの状態を把握して指導しているつもりで、
実はわかってない、そうではないかと思い、ちょっと怖さを感じました。

昔、苦い経験をしたことも、時間が経つとつい忘れてしまう。
そういうことの無いよう、常に気を配っていないといけませんね。

「授業のための授業」や「指導のための指導」じゃ意味がないですもんね。
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# by soul_doctor2005 | 2006-04-08 22:22 | 塾の仕事を通じて

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学校の周りに桜の樹があるというのは
多分そんなに珍しくないと思うのですが、
私の家の近所の小学校にも桜の樹があります。
今朝ふとのぞいてみたら、きれいに満開でした。
ついつい嬉しくなって写真を撮ってみました。
昨日は入学式でしたか、新しく小学生になる子供たちも
良い思い出になったのではないでしょうか?
私がかつて通っていた学校にも桜がありましたが、
新学期が来て桜が咲いているというのは本当に良いものですね。

広島県南部の桜の名所は、どこもほぼ満開です。
共働きの我が家族は週末に休みがとれず
月曜日に花見に行く予定ですが
どうも月曜は雨のようです。
なんとか降らずに楽しませて欲しいものです。

桜の季節は何だか訳もなく、
気分が沸き立ってくるような気がします。
今日は休みですが、
また明日からも頑張ろうという気になってきました。
桜を見ていると
日本に生まれて良かったなと思います。
本当にきれいですよね。

昨日ちょうど国語の時間で
短歌や俳句の単元でした。
子供たちに
「短歌の中にただ「花」と書いてあったら
それは「桜」のことだよ。」と
説明したのですが、
今日この桜を見ていたら
昔から日本人が
「花」イコール「桜」と考えていたのが
当然のように思えてきます。
やっぱり桜は日本のシンボルですね。
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# by soul_doctor2005 | 2006-04-07 11:31 | 日常の出来事

パソコン復活!!

皆さまお久しぶりです。
愛用のパソコンの不調も何とか回復し、
約一週間ぶりの記事投稿です。
これから、また頑張って色々書いていきますので
またよろしくお願いいたします。

不調の原因はやはり予想通り
ACアダプターの断線でした。
新しいACアダプターを購入するまで
多少時間がかかってしまいました。

とはいうものの
パソコンはもう一台あるので
そちらで投稿することも出来たのですが
どうもいつものパソコンじゃないと調子が出ない。
というかやる気が出ない状態でした。
職場のパソコンと家のパソコンはキータッチがちょっと違うのです。

そのかわりといっては何ですが
投稿していなかった間で1冊本を読みました。
なかなか興味深い本でしたので
明日以降に紹介していきたいと思います。

これから頑張って投稿していきますので
お見捨て無きよう。
今後ともよろしくお願いいたします。
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# by soul_doctor2005 | 2006-04-05 22:12 | 日常の出来事

心のエネルギー

昨日「しばらく更新できないかもしれない。」
と書いておいて、早速更新です。
気が向けばどんどん書くのですが、
気が向かないと全く書きません。
この気持ちのムラが私の欠点なのですが、
なかなか直りません。
今後も不定期な更新が続くと思います。

仕事柄、よくいろいろな文章を読む機会があるのですが、
自分で好んで買う本もありますし、
国語のテキストで出てくる文章もあります。

数年間は同じテキストを使うので
国語のテキストの中で出てくる文章は
何度も何度も見かけることになります。
また授業の題材ですから、
家で趣味で読む本の数倍気を入れて読みます。
ですから、心に残る文章も多いのです。

その中でも特によく見かけるのが河合隼雄さんの文章。
「読むクスリ」などの作品で知られている随筆家です。

その河合さんの文章の中に
「心のエネルギー」というものについて
書かれているものがありました。
(ちなみに小学5年生のテキストに収録されています。)

要約すると
人間には「身体的なエネルギー」とは別に
「心のエネルギー」というものがある。
精神的に疲れるというのは
「心のエネルギー」を使って消耗することだ。
心のエネルギーには量があって、
使うと消耗するから、節約に努めるようになる。
ところが、普段「心のエネルギー」をほとんど使わないような人
(筆者は例として役所の窓口の人を挙げています。)
の方が、元気が無く見た目にも疲れていて、
もの凄く活動的で仕事でも趣味でも、
休み無く活動しているような人の方が
元気で活発で楽しそうに見える。
これはなぜなのか?

それは楽しみややり甲斐を見つけることで
新しい鉱脈を見つけるように
「心のエネルギー」そのものが増大するからではないかと
考えられる。
逆に言うと、楽しみややり甲斐のない人は
「心のエネルギー」が減少すると思われる。

こう考えると
「心のエネルギー」の節約ばかり考えず、
新しい鉱脈を見つけるように努めるべきで、
そうすると人より多く活動しても
それほど疲れないのではないか。
「心のエネルギー」は節約ではなく、
上手く流れるようにしていくほうが結果としては良い。

という内容です。


この文章を読んでいて
今まで思っていたことそのままだと思いました。
言葉は悪いのですが、
無気力な人間はとことん無気力で
活発な人間はとことん活発なのです。

塾の生徒の中にも、
もの凄く忙しいスケジュールで
生活している子供がいます。
週7日必ず何かの習い事があるという子もいます。

いつも時間に縛られて
とてもかわいそうだと思うのですが、
案外そういう子の方が元気で、
楽しそうなことも多いのです。

なぜだろうと疑問に思うのですが、
これは上の河合さんの文章を読むと
わかるような気がします。

「だからどんどん習い事をさせろ。」
ということではなくて
「子どもたちに熱中出来ることを見つけてやろう。」
ということなのです。
これは大人も同様なのではないでしょうか?

何かに熱中しているときは
私のような人間でも時間も疲れも忘れます。
こういうときは「心のエネルギー」が絶えず消耗し、
さらに絶えず補給されている状態なのだろうと思います。
だからあまり疲れないのですね。

子供でも大人でも何かしようとすると、
面倒がってやろうとしない人がいます。
これはとても損です。

大学生の時、私は大学祭の実行委員を3年間やりましたが、
これは大変な仕事でした。
授業の合間や、夕方や夜ずっと準備に追われますし
大金を扱うので、失敗したときの責任も重大です。
だから、ほとんどの人がやるのをいやがります。
私も元々は係をやるのをいやがった先輩に押しつけられたのです。
ですが、みんなで力を合わせ、最後までやり終えたときの充実感は最高でした。
この充実感を毎年味わいたくて、3年間も実行委員をしてしまいました。

今の仕事でも、大学時代ほどではないのですが
その充実感を味わいたいという思いがあります。
そのために、絶えず新しいことを考えるし、
型どおりの授業や指導はしたくないと思います。
それが、結果に現れることで、 新しい「鉱脈」が掘り出され、
新しいやる気がでてくるのだと思うのです。

「やるか、やらないか」で悩んだら、
まずやってみるべきです。
何か必ず得るものあります。
それが失敗や教訓かもしれませんが、
何もしないより遙かにいい。

文章を読んでそう感じます。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-30 00:04 | 塾の仕事を通じて

パソコン故障!!!

今日帰宅して、普段愛用しているパソコン、
アップルのiBookを起動しようとしたら作動しないのです。
スリープ状態から復帰させようとしても復帰しません。

焦りました。色々原因を考えてみたのですが
恐らく、電源アダプタがショートして通電出来ないのだと思われます。
困りました。

ちょうどヤフーのオークションでデジカメを購入し、
その連絡をしなくてはいけませんでした。
仕方なく職場に戻り、職場に置きっぱなしの
もう一つのパソコンを持ち帰って
所用を済ませました。

その後再びヤフーのオークションで
iBookの電源アダプタを入札したのですが、
無事落札出来るまで4日かかります。
もし落札出来なかったら、
もっと使用できない状態が続きます。

普段当たり前のように使っているのですが、
実際愛用しているパソコンが使えなくなったら
ものすごく困ります。
このブログの記事はともかく、HPの内容などは
パソコンが使えなくなったら、全くパーになってしまいます。
今更ながら、きちんと普段バックアップをとっていないことが悔やまれます。

今回は幸いもう一台パソコンがあるので、
最低限のことは何とかなるのですが
以前同じようにアダプタが駄目になってしまったときは
非常に困りました。
このときもたまたまネットの出来るゲーム機「Dreamcast」を持っていたので
これを使ってアダプタを購入したのですが、これは大変不便でした。
ゲーム機のコントローラで一文字ずつ入力するのは携帯メール以上に苦痛でした。

そのときは用心して、その後予備のアダプタを購入したのですが、
今のパソコンに買い換えてから予備のアダプタを買い忘れていたのです。
過去の教訓が全く生かされていません。進歩がないですね。

当分の間、職場のパソコンを家に持ち帰る日々が続きそうです。
しばらく更新が滞る日が続くかもしれませんが
どうかご容赦下さい。

それにしても、
自分はもうパソコン無しでは生きられない人生を
歩んでいるのだなと感じました。
完全に依存症です。

今日はつくづくパソコンが二台あるのを幸運だと感じました。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-28 20:31 | 日常の出来事

「時間」と「とき」

私は普段日曜日は仕事なのですが、
今日はお休みです。
私たちの塾では月に一度程度日曜日のお休みがあります。
今日と明日、二日間の連休です。
「何をしようか」とあれこれ考えていたのですが
家の洗濯機が壊れてしまい、修理に来てもらうことになり
全て台なしです。
特に何も予定も無いまま今日一日を過ごしています。

ですが、何も予定が無いと言っても
必ず何かしているのです。
性格なのか習慣なのか何もしないでいるのが
落ち着かないのです。

どこかに出かける予定が無くなれば
こうしてブログの記事を書いたり、
撮りためている映画を観たり、
買ったまま読んでいない小説を読んだり、
気がついたら何かしているのです。

以前はともかく、
今はそんなに忙しい生活をしているわけではないのですが
それでも、やはり時間を気にしているようです。
「時間が勿体ない」という気持ちがどこかにあるのですね。

昔、「時間」は量のあるもの、使うもの
  「とき」は区切れないもの、流れるもの
という文章を読んだことがあります。
ふとこの文章を思い出すと
「時間」はいつも感じていますが
「とき」というのはここしばらく感じたことがありません。
忙しくない生活ながらも、せわしなく過ごしているのですね。

「漫画の神様」手塚治虫さんの祖父は、
ある藩に仕える藩士だったそうです。
そのお爺さんは毎朝城に出仕し
ずっと「控えの間」というところで
夕方まで何もせずに過ごしていただそうです。
成人し藩士となって、年老いて引退するまで
ずっとそういう生活だったと手塚さんが文章に記されています。
手塚さんはその話を祖父から聞かされ
「なんてつまらない一生だ。」と若い頃は思い、
手塚さん自身が年老いてからは
「そうではないことがわかった。」
と書かれています。

確かに何から何まで
量や価値に置き換えてしまう今の世の中よりは、
豊かな「とき」を感じて過ごせるだけ
幸せかもしれません。

そう思いつつも私自身は
こういう生き方はもうできないだろう。
と感じます。
こんな文章を書きながらも
やはり時間を気にしています。

そういう性分なのか、そういう世の中なのか
こればかりはどうしようもないような気もします。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-26 16:04 | 日常の出来事

求めることと求められること

以前「素質」についての記事を書いたことがあります。
素質というのは先天的なものではなく後から鍛えることもできる。
その時私はそう書きましたし、今もそう思っています。

そのことを思い出しながら、ふと思ったのです。
野球の素質があれば野球を、サッカーの素質がある人は
やっぱりサッカーをするべきなんだろうか?
そう感じたのです。

私の中ではこのことについて結論は出ています。
人間は自分のやりたいことをやるべきです。
ずっとそう思ってきたし、今でもそう思います。

でも、もし今自分のやっていること以上にやりたいことが出来たら
それをやるべきでしょうか?

私自身がそういう状態であるというのではなく、
今塾に来ている子供たちをみていて思うのです。
周りの人間が「こうなって欲しい」と願い、
それに応えることができる力を持っている。
そういう子供はやはり「求められること」を
やっていた方が幸せなんでしょうか?

たまに自分が子供たちに対して
話したことやしてきたことを考えて怖くなることがあります。
別にひどいことを言ったりしたりしてきたわけじゃ無いのですが、
私の言動や行動で
過度の期待に苦しんだり、精神的に圧迫されている子がいるのではないか。
そう思うと申し訳ない気持ちになります。

ここまで書いてきながら、
以前指導していた生徒のことを思い出しました。

まだ私が新人だった頃、ある中一の男子がいました。
彼はサッカー少年で、見た目にもさわやかで
勉強も良くできました。
ちょっと大人しいけど明るい子で、
友達もたくさんいました。
それが、突然不登校になってしまったのです。

何の前触れも無く突然塾に来なくなって、それっきりでした。
しばらくしてお父さんが相談に訪ねてこられました。
学校にも全く行かず、ずっと家にこもって出てこないのだそうです。

お父さんの話によると、
彼はずっと「優等生」になろうとしていたようです。
親や周りの期待に応えたい。
そんな気持ちだったのでしょう。
不登校になるまで、
親に対して反抗するようなこともほとんど無かったそうです。
それが突然精神的にキレてしまった。
「こんなになったのは親のせいだ。」と彼は言ったそうです。

それから二年あまりして
彼の弟が塾に来るようになりました。
その時彼はまだ家から出ない生活を続けていたそうです。
彼の弟が塾に来るようになったのも
家にいると兄の相手をしないといけなくて
精神的につらいので息抜きをさせてやりたいという理由だったのです。

今彼はもうとっくに成人している年齢です。
彼の話はそれっきり聞いていませんが、今どうしているのでしょうか?
ふと思い出して気になりました。

私も子供がいますから、五輪をみながら、
「自分の娘が将来荒川選手のようになったら…。」などと
あり得ないことを考えたり、期待したりしてしまいます。
親が子供に立派になって欲しいと思うのは当然なのですが、
「子供の人生は子供のものだ。」ということを
私自身つい忘れてしまいがちになります。

塾に来ている生徒に対しても
「これだけ出来る力があるのだから、もっと頑張ろう!」
などと無責任にもメッセージを書いてしまいます。
子供の力を伸ばしていくのが私たちの仕事なのですが
「子供たちは本当にそれを望んでいるのだろうか?」
とふと考えます。

「やればできる」子供が頑張らないのは
やはり子供たち自身が、
勉強を自ら追い求めていないからなのでしょうね。
周りから「こうしよう」と言われてするよりも
みずから「こうしたい」と思って取り組んでいく子供の方が
力がつくのは自明の理のように思います。

今の子供たちからは
自ら何かを「追い求める」という意識があまり感じられません。
私たちの世代もかつてはそうだったのかもしれないのですが
今の子供はそれ以上のような気がします。

それは、自ら「ああしたい」「こうしたい」と主張しなくても
ある程度、道筋がきまっている。
だから自分自身であれこれ考える必要がない。
そう思っているからではないでしょうか?

以前高校受験の指導をしていたとき
将来なりたい仕事を聞いたら
「特にない」という生徒がとてもたくさんいました。

子供たちが目的を持ちにくい世の中なのでしょうか?
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-24 00:02 | 塾の仕事を通じて

垣根

塾講師という仕事をしている人は
大抵夜遅く朝も遅い生活をしている人が多いのですが、
私は、子供を毎朝保育園に連れていくので大体朝七時頃に起きます。

今日も子供を保育園に連れていき
朝九時過ぎに家に戻っていました。
帰る途中には中学校があります。
この中学の前を通るのはいつも九時過ぎですから
生徒の姿を見かけることは無いのですが
今日は校門の前にぽつんと立っている中学生を一人見かけました。

どうも彼は何かの理由で学校に遅れてきたようです。
でも、始業時間を過ぎて校門が閉じられているので
学校に入れず困っているようでした。
私は信号待ちの間彼の様子を見ていたのですが
結局彼は校門をよじ登って学校に入っていきました。

ふと自分の学生時代を思い出してみて
「こんなことは自分の頃には無かったな。」
と思いました。
遅刻しても学校に入る事自体に困るようなことはありませんでした。
不審者が多いということで学校もかなり警戒しているのだと思いますが、
何だか寂しい光景です。

学校は地域に開かれているべきですが、
門戸を開放したらどんな人間が入ってくるか分からない。
学校も難しい対応を迫られています。
いやな世の中になってしまったものです。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-23 10:18 | 日常の出来事

覚えることの大切さ


最近「ゆとり教育」の影響なのか「覚える」と言うことが
軽視されているように思います。
「考える力」を育むとか
「自分で気づくこと」を重視するといったことが
塾を含め大抵の教育産業の広告でうたわれています。
本当にそれで良いんだろうか?
指導をしていて時々そう思うときがあります。

勿論「考える力」も「自分で気づくこと」も非常に大切です。
それがいけないと言っているのではないのです。
ただ、「考える」にはその為の材料(根拠)が必要だし、
「自分で気づく」にはその比較の対象が必要ではないでしょうか?
それを無視して、「考える力」を養うのは難しいし、
「自分で気づくこと」は困難なのではないでしょうか?

偉そうな表現になるのですが、人間は自分の知っている範囲でしか
モノを考えることができないはずです。
とすれば、考えられる範囲を増やすには、知識を増やすことが必要なのです。
でも、知識や記憶といったものは今の日本の教育では
軽視されているように思うのです。

「覚える」とか「暗記」とかいうと
すぐに「詰め込み教育」といった悪いイメージにつながってしまう。
でも、それは正しくないと思うのです。
確かに「詰め込み型」と呼ばれるような、知識を覚えることが全てというような
教育というのはおかしいと思います。
ただ、考えたり気づいたりする為には、その為の知識が必要で、
それを身に付ける為の訓練は必要だと思います。
自分が知っている知識を元にして、様々な事を考えたり、
新しいアイディアを思いついたりするのです。

有名な発明家や学者は大抵奇想天外な発想の部分ばかりが強調されますが、その発想に至る前段階では、その分野の広範な知識の集積を行っているものです。
新しい発明のほとんどは、今までに分かっている知識を組み合わせることで生まれています。ですから、縄文人にスペースシャトルは発明できません。そこまでに至る知識も技術もないからです。縄文人の知識の範囲で何を組み合わせても、スペースシャトルには結びつかないのです。それと同様に、今の時代に生きていたとしても、十分な知識の無い人間にはそこまでの発想しか生まれないと言えると思います。

「知識」を軽視する傾向は、かつて私たちやそれより前の世代で、厳しい受験競争が行われてきたことに由来しているように思います。
ただ闇雲に覚えて、それを答案に書けるのが優等生。そうでないのが劣等生。
そこまで極端ではないかもしれませんがそういう傾向があったのではないでしょうか?
今の「暗記」や「記憶力」の軽視の傾向はその反動のように感じます。

私が高校一年の時、私の友人にH君という人がいました。
彼は、英語の定期テストがいつも90点以上ありました。
ですから通知表の成績はいつも9か10(10段階評価)でした。
でも、彼は模擬テストではほとんど得点できなかったのです。
いつも定期テストで平均そこそこの私よりもずっと悪かった。
なぜかというと、彼は定期テスト前にいつも教科書の本文の丸暗記をしていたからです。
彼には申し訳ないが、これは無駄だったと思います。

「知識」というのはそれを自分自身が使っていけるものでないといけないと思うのです。そして実際に使ってみる。そうして分かることを「経験」と呼ぶのではないでしょうか。使える知識が多いほど、発想の幅が広がる。経験も増える。
そう考えたら「覚える」ということは、やはり大切だと思うのです。
特に年が小さい子供ほど「覚えること」は大切だと思うのです。
幼い子供ほど使える知識が少ないのですから…。

話が逸れますが、
この仕事をしていると時々まだ十分に物事を判断できない小さい子供に
非常に重要な判断をまかせておいて
「子供の自主性を尊重している。」といわれる方を見かけます。
勿論親によって考え方が違うのは当然なのですが、
私はあまりそうはしたくありません。
十分な知識を身に付けるまでは親がきちんと考えて決めてやるべきです。
それは親の責任だと思います。
子供たちにはまだまだ世の中について
「覚える」べきことがたくさんあるのですから…。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-17 01:11 | 塾の仕事を通じて

理論と情熱

昨日NHKの「その時歴史が動いた」を見たのですが、今回は二宮金次郎の物語でした。
勤勉の象徴のような人だということは私も知っていましたが、いつの人で実際に何をした人なのかということは今回初めて知りました。

大抵の方はご存知なのかもしれませんが、一応書いておきますと
江戸時代末期の農政学者で農業生産の向上に尽力し、数万人の餓死者が出たと言われる「天保の大飢饉」の際には故郷の小田原藩で4万人の飢えに苦しむ農民を救った。
「天保の大飢饉」の後の「天保の改革」では、農民の出身でありながら幕臣に抜擢され、飢饉で荒廃した農村の復興に努め、生涯に600以上の村を復興させた。
という人物です。

彼の話を見ながら感じたのは、人の心を動かすのに如何に情熱が大事がということです。今、二宮金次郎というと熱心に勉強した勤勉な人物という人物像が先行していて、私自身「勉強ばかりしていた人(今風にいえばガリ勉)」で頭でっかちな人物のように思っていたのですが、実際の彼はそうではなかったことがよく分かりました。

飢えに苦しむ人を救う為に彼は「協同組合」のようなものを考え出したそうです。
彼が考えた事は確かに素晴らしいことだったと思います、でもそれをただ主張するだけでは、多くの人の賛同を得ることは出来なかったのだろうと思うのです。
「飢えに苦しむ人を救いたい」というその情熱に、ほだされたりあるいは圧倒されて、彼の主張に多くに人が耳を傾けるようになる。そうやって、彼は飢えに苦しむ人々を救ったのです。

かつて私は大手塾で校舎責任者をしていました。当時は末端ながらその塾の幹部であったと言えると思います。その時当時20代半ばだった私は、会議や研修会などで自分が正しいと信じることを遠慮なく主張し続けました。会社を発展させたい、もっと良い塾にしたいと色々考えていたのです。ですが、それはほとんど採用されず、自分の考えの正しさを信じ切っていた私は
「何で分かってくれないのか?」
「正しい意見が採用されないのに、なぜ会議をする必要があるのか?」
と心から憤慨していました。不満もかなりたまりました。

ですが、今なら自分の意見が採用されなかったことの理由がよく分かります。
内容は正しかったのかもしれない(間違いだったかもしれない)が、その意見にどれだけ自分の熱意や情熱をこめることが出来たのか?それがポイントだったように思います。それに発言している私自身が周りからどれだけ信頼されているか?ということ。
校舎責任者になったばかりで、知ったようなことばかり言う私のような人間の発言は信頼出来ない。もっと実績を出してから文句を言え。そう思った人が多かったのでしょう。今ならそう感じます。
その当時は主張が正しければ必ず採用される。そんな思い込みがあったと思います。
まさしく理屈倒れです。

「私に任せてもらえませんか?」そう言って、
「あなたがそういうなら任せよう。」と言われるだけの
実績と経験とさらに情熱を積み上げていきたい。そう思います。
どうも私は、理屈ばかり先に立つところがあるので…。
二宮先生にあやかりたいものです。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-16 10:16 | 日常の出来事

塞翁が馬

今日、昨年卒業した生徒が遊びに来てくれました。
今度中2になるのですが、今通っている学校がとても楽しいようで、
話をしていてとても嬉しくなりました。

色々話したいことが多かったようで、
彼女は色々な話を止めどなく話し続けていたのですが、
その話を聞きながら、「本当に話すのが上手になったなあ」
と感じました。
彼女は友達を作るのがちょっと苦手で、小6で塾に通っていたときも、
休み時間になると私のところに来て色々話していたのですが、
その頃とは大違いです。
理路整然ととても分かりやすく話してくれました。

彼女の妹が今私たちの塾に通ってきているので、
「お姉ちゃんは今どうしている?」
と時々様子を聞いていたのですが、今通っている学校が彼女にはとても合っていたようで、中学校でぐんぐん成績が上がっていると聞いていました。

今日実際に会ってみて、確かに勉強が出来るようになったのだろうと
彼女の話しぶりから実感できました。

塾に来ているときは正直言って勉強が好きな子ではありませんでした。
本気にさせるのにかなり苦労しました。
休み時間に話をするときも、勉強の話をしようとすると嫌がって、
話題を変えようとしていました。

それが今日は全く反対。自分から学校の勉強の話をたくさんしてくれましたし、
学校で覚えた古文の文章(竹取物語)を暗唱したり、
茶道(茶道の授業があるのだそうです。)作法を説明してくれたりしてくれました。
私はその様子をただひたすら関心しながら聞いていたのです。


彼女が帰った後で、彼女のことを考えながら、改めて
「子供の可能性ってとても大きいなあ」
と感じました。
何かきっかけがあれば、それまであまり上手く勉強が出来なかった子も
大きく変わることがあるのだということを感じました。
勉強だけではないと思います。
大切なのは環境ときっかけだと思うのです。

昔読んでいた小説に
「正しい道を正しく歩んでいる者の前には、正しい師が現れる。」
というくだりがあったのですが、その通りじゃないかと思います。
頑張っている人間は自分で自分の一生の転機をつかむのではないかと思うのです。
大袈裟な表現になりますが、彼女もきっとそうだったのではないかと思います。

ただ、子供の場合は周りがサポートして出来るだけ子供の心の養いになるような
環境を作ってやる必要があるのではないでしょうか。
私達塾講師がその一助になれればと思います。
一人でも多くの子供に自分の力を伸ばすきっかけを見つけさせてあげたい。
そう思いました。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-14 23:09 | 塾の仕事を通じて

子供の診療について

保育園の耳鼻科検診で下の娘が「中耳炎」と診断されたので、
今日、娘を耳鼻科に連れていきました。

診断通り中耳炎だと病院でも診断されて、薬をもらうことになりました。
最近は「医薬分離」とかで、病院と薬局は別個になっているようで、
病院で処方せんをもらい、薬局で薬をもらおうとしました。

大抵病院があるとすぐ近くに薬局があるのですが、
今日行った病院の近くには薬局が見当たりません。
ちょうど上の娘を広島大学病院近くの保育園に迎えに行かなくてはならず、
大学病院の近くには処方せん調剤の薬局がいくつもあるので
「まあ そこでもらえばいいか。」
と思って病院を後にしました。

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# by soul_doctor2005 | 2006-03-13 19:54 | 日常の出来事

プロ棋士

以前から、「凄い生徒がいた」と話だけは聞いていたのですが、
私が勤める塾にかつて物凄い卒業生がいたそうです。
「テキストでも何でも一度読んだらすぐ全部覚えてしまう。」
「小4のときに彼が読んでいる本を見せてもらったが、大人の自分でも難しくてさっぱり分からなかった。」など、その逸話の数々を塾長から聞かされてきました。
その彼がついに17才にして、何とプロの棋士になったという記事が昨日の中国新聞に掲載されていたそうです。現役の高校生がプロになるのは中国地方では史上初めて、現役の棋士では最年少のプロ棋士なのだそうです。

棋士というものには縁が無い私ですが、それでも「月下の棋士」という将棋漫画を読んでプロになるということの大変さは何となく知っています。
プロになって活躍するのは勿論大変ですが、プロになること自体が物凄く大変なことなのです。小さな頃からそれぞれの地域で「天才」とか「神童」とか呼ばれるような子どもだけが、奨励会というプロ棋士の養成機関に入ることができ、その中で勝ち上がったごくわずかな人間だけがプロになるのです。これは大変な世界です。

私は直接教えていないので、それほど実感が湧かないのですが、
塾長は大喜びで、その記事を拡大し、教室にデカデカと貼り、また全生徒にプリントにして配付するという徹底ぶり。
今日の授業前には、塾長はプリントを配り、彼がいかにすごい生徒だったかを力説していました。
そうして時間は午後7時前。ちょうど6年生の授業中に何とその彼本人がご両親とともに塾長を訪ねてきたのです。新聞に載るような有名人がきたということで、教室は大騒ぎ。
「サインもらおう」
「写真撮りたい」
「携帯持ってればよかった」とか
大変な興奮状態。さすがに彼もご両親もびっくりしていました。
急きょ彼に教室で話してもらうことに。
プロ棋士とはいえ、普通の高校生。大勢の子供の前で緊張したようで
「頑張って下さい」とだけ一言。それだけ話してくれました。
子供の頃からきっと秀才といわれてきたのでしょうが、普通の気さくな高校生でした。

最年少のプロ棋士ですから、これからまだきっと強くなるんでしょうね。
棋士になったことではなく、今後は活躍が新聞の記事になるのを期待しています。

彼みたいに凄い人はなかなか出ないでしょうが、やはり指導した子供が立派になってくれたら嬉しいですよね。
プロ選手とか、オリンピックとがそんな大層なことじゃなくてもいいのです。
ただ普通に立派に社会人になってくれたり、結婚して暖かい家庭を作っていたり
そういうことで十分なのです。

昔の教え子の写真を見ながら、「今ごろどうしているんだろう?」と考えました。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-12 00:03 | 塾の仕事を通じて

心配性

最近更新を怠っておりました。
子守などで忙殺されておりました。
最近更新が遅れがちですが、何とか最低週2回は更新したいと思っています。

飽きっぽい性格ですので、正直言ってまめに更新するのは最初だけだと
思っていたのですが、読んでくださる方がいるおかげでそれなりのペースで更新できております。見てくださる方がいるというのは本当に有り難いですね。
これからも頑張っていきます。是非お付き合いください。

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# by soul_doctor2005 | 2006-03-11 23:08 | 日常の出来事

巴(ともえ)

自慢できないことなのですが
私は国語の指導者でありながら、「漢字」が苦手です。
この仕事に就いてから自分なりに直してきたのですが、
正直言ってまだ自信がありません。

塾の中では漢字のテストを行うのですが、子供のテストの採点の時には
漢字辞典は欠かせませんし、つい最近も旺文社の「小学生のための漢字を覚える辞典」を購入して、筆順を勉強し直しています。

この旺文社の「小学生のための漢字を覚える辞典」。非常に良くできている本で、筆順から漢字の語源までをイラスト付きで分かりやすく説明しています。
特に漢字の語源については、初めて知ったようなことが多くてとても勉強になります。
小学生向けの本ですが、大人にもためになる本です。

漢字が苦手だということもあり、以前からちょくちょく漢字の勉強らしきものはしてきたのですが、その中で気になる言葉を見つけました。
それは「巴(ともえ)」という言葉です。

この漢字には「3つの力を合わせる」という意味があります。
よく「三つ巴」などと言いますよね。
これが私たちの仕事を上手く言い表しているような気がして、最近気になっているのです。

私たちの仕事って「裏方」の仕事です。
そうじゃないといけないと私は思っています。
授業などでも、自分が満足できる授業をするのではなく、
主役である子供たちがやる気が出て実力が出せる授業をするべきですよね。
授業以外でも同様です。

もう一つ子供の実力を出すために大切なのが「保護者」です。
中学生や高校生位になるとどうか分かりませんが、小学生の子供たちは大抵親に自分の頑張りを認めて欲しいし、評価して欲しいと思っているはずです。
そこで、保護者の方にいかに子供を力づけていただけるかで私たちの仕事の成果も大きく変わってきます。

「巴」の言葉通りに主役の子供たちと保護者の方と私たちの3者が上手く力を出して、相乗効果で子供を育てていく。そうありたいと思います。
その為にも、私たちは「技術」だけでなく「熱意」が必要ですよね。
それだけは忘れないで、これからも頑張っていこうと思います。

「初心忘れるべからず」と言いますが、これは私がこの仕事をしていくときの「初心」だと思います。時々これを忘れて反省するときもあります。言うのは簡単で、実行は難しいですが、いつも心がけていきたいと思います。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-06 13:29 | 塾の仕事を通じて

新年度開講

今週から新しい学年での授業がスタートしました。
気持ちも新たになりますし、緊張もします。

というのも新しいクラスというのは、最初にどうスタートするかでクラスの一年間の雰囲気が決まってしまうからです。
今私の受け持っているクラスは小4から小6までですが、この中で一番緊張するのは4年生です。小5や小6はもう一年以上やって来たクラスの持ち上がりなので、ある程度クラスの形は出来ている。小4は初めて編成されるクラスです。ここで上手く持っていけるかどうかで小学校卒業までのクラスの出来が決まってしまう。重要です。
クラスで勉強する以上、勉強するのはそれぞれの子供だといっても周りの子供の影響をかなり受けます。だからクラスの雰囲気はとても大切なのです。
勉強で頑張っている子が敬遠されない雰囲気、みんなで頑張っていく雰囲気、自分の実力が上がっていくことを楽しめる雰囲気。こういうものをきちんと作っていけば、一人では出来ない努力を辛く感じずに続けることが出来ます。そうすれば全員が実力つけていくことが出来るのです。

何かの縁があって私たちの塾に来てくれた子供たちです。
一人残らず「塾に来て良かった」と思えるようにしてあげたい。
その為には最初が肝心です。
しっかり、良い雰囲気をつくっていこうと思います。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-03 12:18 | 塾の仕事を通じて

素質と環境2

先日の続きです。
勉強が出来るようになる為に素質と環境(努力)どちらが大切なのかということについてしばらく考えてみたのですが、もう一つ疑問に行き当たりました。

ある人に対して「この人は○○についての素質がある。」というとき「素質」というのは何をさして「素質」と言っているのでしょう?
何となく分かるような気もしますが、具体的に説明しようとしたら上手くできません。

例えば、国語で漢字のテストをする。
非常に良くできたら、「国語の素質がある」という言い方をします。
漢字が出来るのと国語が出来るのは違うような…。
私自身は、塾に来る生徒について「素質」と言う言葉を使うことはあまりありません。
正直言ってどういう子について使っていいのかよく分からないのです。

これは、私自身が「素質」というものをあまり重視していないからと言えるかもしれません。新しく塾に来ようとする保護者の方や子供たちに、私は「一生懸命努力すれば必ず先生達が何とかする」といいます。プロスポーツ選手や学者になるというなら別ですが、勉強は全ての子供たちがするものです。少なくても学校で習う勉強は一般的な子供が十分出来るように考えて作ってあるのですから、頑張って出来るようにならないはずがないのです。

また、プロスポーツ選手や学者になるのだって「素質」がないと駄目だとは思いません。色々なスポーツを観ていて、「努力」でここまでこれたと言う人は多くいると思います。サッカーの横浜Fマリノスの中澤選手のように、プロに入るまで全く無名だった選手もいますし、プロ野球の古田選手兼監督も高校時代は無名でした。バスケットボールやバレーボールのように背が高くないと非常に不利なスポーツもありますが、これだってNBAに挑戦している田臥選手のようにそれを乗り越えて、活躍しようとする選手もいます。

学者については「素質」というより情熱が大切なのではないかと感じます。ノーベル賞をとった白川教授は、学生のころから「電気を通すプラスチックを作る。」と考えていて、数十年後にこれでノーベル賞を獲得しています。
数学界で長年謎とされた「フェルマーの定理」を解明したワイルズ教授は、この定理を解明するために八年間朝から晩まで考え続けたそうです。研究をしていることを他者にひた隠しにし、研究成果がでないことを問題視されながら解明したのです。情熱以外の何者でもないと思います。

ここまで書いてきて素質というものも私は先天的なものではないと感じました。
スポーツを例に取ると、例えば子供の頃から走るのが好きで足がとても速い子がいる。
そんな子供がサッカーをしようとすると足が速いのでサッカーに向いている。
そういう子供に対して指導者が「この子はサッカーの素質がある。」という言い方をする。こういうことではないかと思います。
ということは、この「素質」というものも努力次第で何とかなるのではないでしょうか。努力して「素質」を身に付ける。そういうことも出来るのではないでしょうか。
そうであって欲しいです。

「素質」が先天的なもので「素質」の無い人は何をやっても駄目というのでは、つまらないですよね。
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# by soul_doctor2005 | 2006-03-03 12:01 | 塾の仕事を通じて

素質と環境

突然ですが
勉強が出来るようになるのに「素質」っているんでしょうか?
そもそも勉強の「素質」って何なのでしょう?

今日はそれをずっと考えています。
考えが自分なりにまとまれば、また続きを書きます。

眠気が襲ってきたので今日はこのくらいで…。
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# by soul_doctor2005 | 2006-02-28 23:27 | 塾の仕事を通じて

広島県知事の不正経理疑惑について

藤田雄山広島県知事の後援会が、政治資金規正法に違反して8300万円もの収入を報告書に記載しなかったということで、後援会の事務長が逮捕され、先日初公判が行われました。
先日初公判だったのに次回はもう結審だそうです。
このニュースをラジオで聞いて「なんだそれは」と思いました。

昨年11月に広島県知事選挙が行われ、完全な無風選挙で難なく藤田知事が当選したのですが、投票率が何と30%を下回ってしまいました。
私は日曜日は仕事なので、仕事が終わった後午後8時の締め切り間際に投票したのですが、帰宅するともう当選確実が出ていました。おかしなものです。
開票率0.1%で当確って何なんでしょう?

今回の不正とこの選挙を考えると一つの結論が浮かんできます。
投票率が低いと組織票を持つものが有利になる。
そして組織票を固めるには金が要る。その金は表立って使えないので裏金にする。
8300万円という金額はそういう金額だ。そういわれても仕方がないと思います。
そして実際そうなのでしょう。今回の公判の検察の主張では、かなりの金額が県会議員に流れたと言われています。

不正を行うのが悪いのは当然。ですがその背景には「金で選挙が買える」という事実があります。それというのも県民の投票率が低いのが原因。
投票率が上がり、その大半が無党派ということになれば、政策や実績で支持を集めるしかない。県民がその意識を持たないと不正はなくならない。そう思います。

不正の温床を県民が自分たちで作っている。その意識を持って投票に行くべきです。
これは他の選挙でも同様のはずです。
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# by soul_doctor2005 | 2006-02-26 22:45 | ニュースについて

ダブルスタンダード

昨日アメリカがイギリスと共同で「臨界前核実験」を行いました。
荒川選手の金メダルのニュースにかすんでしまいましたが、私はこちらがとても気になりました。

私は広島の人間です。学校では反核の教育を受けましたし、広島は軍縮や護憲の意識が強い土地柄です。
ただ、私自身は核兵器はともかく、憲法は変えたほうが良いと思っていますし、核実験の度に被爆者団体が行う座り込みにも疑問を感じることがあります。でも、やはりアメリカには疑念を感じます。

今回の核実験に感じるアメリカへの疑念(不信といった方かいいかもしれません。)はアメリカの考え方に「ダブルスタンダード」を見て取れるからなのです。

この核実験だけでなく、アメリカは世界に対しては恰好良いことを言うのに、自国が関わることについては非常に自分勝手な部分が多いのです。そう感じざるを得ません。
それでいて「アメリカは世界で一番素晴らしい国だ。アメリカが世界一だ。」と思い、主張し恥じるところがない。そういう姿勢にアメリカの傲慢さを感じます。

BSEの問題では、アメリカに明らかに非があるのに、安全性の問題を通商問題に置き換え、再三に渡る圧力をかける。輸入が再開された後も合意に違反し、脊髄を除去しないまま輸出する。さらにその非を認めず、「安全性に問題ない」と言い張る。
また、国内で歩行困難な牛を食肉にし、そのことが問題になると根拠もなく「足を怪我をした牛だ。(ジョハンズ農務長官)」と主張する。恥ずかしくないのかと言いたい。

今回の核問題に際しても、北朝鮮やイランなどには再三査察を受けるよう要求したり、CTBTの規定を順守するよう求めておいて、アメリカ自身はCTBTを守らない。

捕鯨に関しても、日本やノルウェーの捕鯨に強硬に反対し「捕鯨自体が野蛮だ」とまで言いながら、自国のアラスカには捕鯨を認めるよう求めている。

地球温暖化の問題では、世界の4分の1もの二酸化炭素を排出しながら、経済問題を理由にして、京都議定書を認めない。

古い話ですが、貿易摩擦が問題になったときには、日本のさまざまな事を非関税障壁だと言い出し、揚げ句の果てに「日本人が日本語を使うのが、非関税障壁だ」とまで言う。ここまでくるとあきれてモノが言えない。

個人的に特に自分は「反米」の気持ちが強いわけではないのですが、それでも日々のニュースを見ていると、アメリカのやることに「おかしい」と感じることが多いのです。ただここでいう「アメリカ」というのは「アメリカ政府」のことで「アメリカ人」ではありません。全てのアメリカ人がアメリカ政府を支持しているわけではないですから。マイケル・ムーアのような人はアメリカでは決して少数派ではないと思います。

今のアメリカ政府はアメリカが「世界の一員」であることを忘れて、まるで世界の支配者のように振る舞っています。ブッシュ政権が終われば、変わるのでしょうか?
こんなアメリカに追従する小泉政権もどうかと思います。
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# by soul_doctor2005 | 2006-02-25 19:46 | ニュースについて

不審者あつかい

私は普段は土日に働いて、月曜日と金曜日に休んでいます。
そのため、用事を済ませるのに平日の昼間に銀行や大型のショッピングセンターなどに出かけます。

最近土日祝日に働く人が多いとはいえ、平日の昼間に大の男が一人、店でウロウロしている(ようにみえる)と、挙動不審に見えるらしく、たまに子ども連れのお母さんなどにかなり警戒されることがあります。
「普通に用事で来ているだけだ。」と言いたいところですが、声などかけたらさらに怪しいに違いないので、特に何もしません。

先日、「ダイアモンドシティ・ソレイユ」という大型ショッピングモールにある書店に行きました。ここは、駐車場も店内も非常に広くて、その書店まではあるいて7〜8分近くかかります。その書店へ歩いて向かっていたのですが、たまたま少し前に3歳くらいの子どもと手をつないだお母さんが歩いていました。歩く方向が同じだったので、ずっとその親子連れの後ろを歩いていたのですが、明らかに私のことを警戒しています。5分あまり後ろを歩いた後の店内でこちらをチラッと見た後で、急に子どもを抱きかかえて走り去ってしまいました。

正直あまりいい気分はしませんが、親がそこまで気を遣わないと子どもの身を守れないと感じるのも無理はないとも思います。私にも娘がいるので、子を持つ親の気持ちは分かるつもりです。昨日も岡山県の「おもちゃ王国」という遊園地に子どもを連れて行ったのですが、歩くときはやはり手をつないでいないと心配です。

嫌な事件が続きますが、子どもを安心して育てられるようになって欲しいです。
そしてそのために私たちも何か出来ることがないかと思います。
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# by soul_doctor2005 | 2006-02-24 15:40 | 日常の出来事

希望学

遅ればせながら、オリンピックで女子フィギュアスケートのSPを見ました。
日本の選手も頑張っていましたが、スルツカヤ選手のエピソードには心動かされるものがありました。
人間生きていくために目標や夢を持っているということがとても大切なのだと感じます。

昨日たまたま入塾試験を受けに来た子供のお母さんとお話しをしたのですが、その時に「希望学」という学問の話をしました。これは最新版のイミダスに載っていたのですが、正確には学問と呼ぶまでには至ってないかもしれません。ただこういうことを研究している方がおられるのです。

その研究によると、子供の頃に将来なりたい仕事ややりたいことがあったという人の中で実際にその仕事ややりたいことが実現した人は約9%位だそうです。
やはり、なりたいと思った仕事につくのは実際は難しい。
では、将来の夢や目標を持つのが無駄かというと…そうではない。

実はその続きがあって、子供の頃に将来なりたい仕事ややりたいことがあったという人は、そうでない人に比べて今の仕事や生活に対する満足感ややり甲斐を感じている人の割合がずっと高いのだそうです。
絶えず目標をもって頑張っていくことで、たとえ子供の頃の目標が実現しなくても、また新しい目標を見いだして頑張っていけるということなのではないでしょうか。

自分の臨まない環境にいても、その中で自分の目標ややり甲斐を見つけられる。実際、人間が生きてきて、自分の思い通りの生き方が出来る人なんてほとんどいないわけですから、これは大切な事ですよね。

恥ずかしながら、私は外交官になるのが夢でした。杉原千畝さんの実話を読んで、「こんな人になりたい」と思ったのです。勿論夢は実現しなかったのですが、そのことを「挫折」とか「失敗」とは思っていません。
今までそんなに苦難の人生を歩んだわけではないですが、それでも何か節目節目で悩んだとき自分なりに、「どうするべきか」を自分で一生懸命考えて自分で選んで来たつもりです。そのことに後悔はありません。

冒頭の希望学の結果は当然だと思います。
頑張ってきた人ほど、自分に自信も信頼も持っている。
だから、自分が「幸せだ」といえる。そういうことではないでしょうか?

余談ですが…
私が、今まで見た映画の中で最も好きな作品は「ショーシャンクの空に」という作品です。絶望的な状況に追い込まれながら、「希望」を捨てなかった男の物語です。この物語に感動するのは「希望」というものが、絵空事じゃなく本当に必要で現実のものだと感じられることにあると改めて思いました。
人前でボロボロ泣いた映画はこれが最初で最後です。
主人公が親友レッドに送った手紙が印象的でした。
「レッド、希望はすばらしい。人生を賭ける価値がある。」

本当にその通りだと思います。希望がなかったら、生きている意味がないですよね。
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# by soul_doctor2005 | 2006-02-22 23:11 | 塾の仕事を通じて